第123回 伊澤直美(41)ベランダ通勤の頭の中
朝8時。出勤途中に保育園で優亜を預けるイザオを送り出すと、直美はキッチンでペットボトルに水を汲み、ベランダに出る。
築20年超えの中古マンション。スロップシンクなんて洒落たものはついていないから、キッチンとベランダを往復する。2リットル入りのペットボトルを両手に一本ずつ持ち、5往復で20リットル。ちょっとした筋トレだ。梅雨明けまでは2日に1度だったが、今はあっという間に土が乾いてしまうので、日課になった。在宅勤務の日は、水やりが出勤代わりだ。
「あー、やっぱりダメだったか」
数日前に水挿しから土に植え替えたカモミールが、しおれていた。
タヌキとマトメの結婚パーティーから持ち帰ったものだ。テーブルを彩ったハーブを自宅のガラス瓶に移し替えて、飾っていた。
「パ、パ」と優亜がうれしそうに指差し、
「パパ」と呼ばれたのかと思ったイザオが「パパ?」と声を弾ませた。
「パーティーのときのお花って言ってるんじゃない?」と直美が言うと、
「パーティーのパだったかー」とイザオはちょっと残念がりつつ、
「優亜、そんなに楽しかったんだねー」と眉を下げた。
夫婦で参加したから相方に預けて行けなかったというのもあるが、子連れで参加したのは直美とイザオだけだった。スピーチに合いの手のように挟まれる優亜の無邪気な声が場を和ませた。会場全体が目の端で優亜を見守り、動きを追っていた。その証拠に、優亜の手が当たったプラスチップのコップがテーブルから落ち、床をコツンと打ったとき、「あっ」と息を呑むそれぞれの音が合わさり、吹き出しをつけたくなるようなわかりやすい「あっ」が生まれた。
あの一日で優亜は人生最大(といってもまだ1年半ほどの短さだが)の「可愛いね」を浴び、カメラを向けられた。「パンダと優亜には負ける」と花嫁のタヌキに言わしめたほどだ。
広告で目を引くならBEAUTY(美人)とBABY(赤ちゃん)とBEAST(動物)の「3B」を登場させるべし、と新入社員研修で教わったが、今でもあんなこと言っているんだろうか。美人というと女性だけになってしまうから、美しい人と言わなきゃダメかもしれない今の時代。
《皆さんからたくさんの愛を注いでもらえて、優亜もわたしとイザオも幸せでした》
パーティーの翌日、写真の追加が止まらない同期入社組のLINEグループに直美がお礼を書き込むと、
《優亜がみんなの愛を引き出したんだよ》とタヌキがコメントをした。
そのコメントに「いいね」「その通り」と同感を表明するスタンプがいくつも並んだ。スタンプの一つ一つに涙腺スイッチを押されたが、なぜかマトメが「遅れます」と遅刻を知らせるスタンプを押し、あふれそうになっていた涙が引っ込んだ。
「間違えました!」とマトメが慌ててスタンプを送り直したが、今度は「ウケる」のスタンプが並んだ。イザオも同じLINEグループに入っているから、「マトメ〜」と夫婦で笑い合った。
テーブルの水挿しハーブを見るたび、そんなことも思い出された。結婚パーティーのおまけのような余韻を楽しんでいるうち、カモミールから根が出てきた。
「優亜、見てみて。根っこが出てきたよ」
ガラス瓶越しの根っこを指差して教え、土に植え替えてみた。そのカモミールが、あっけなくしおれたのだった。
葉っぱが茶色くなったカモミールを土から抜きながら、生き物なんだなと思う。
当たり前のことだが、植物は生き物で、生き物を育てるのは難しい。
ベランダガーデンにはすでに古株のカモミールが根を下ろしている。タヌキとマトメから株を分けてもらったもので、元の株は群馬に住むマトメの両親が育てていたものだ。パーティーの日のカモミールも根づいてくれたらと願ったのだが、真夏のベランダを生き抜くのは厳しかったようだ。
水から土へ環境が激変した上に酷暑の陽射しが照りつける。エアコンの室外機から吐き出される熱風も加わる。真昼のベランダの体感気温は40度近い。サウナのほうがまだ快適だ。
植物を育てるようになって良かったことは、自然相手のままならなさを知ったことだ。食べることは人一倍好きで、勤め先は食品会社、しかも商品開発部。なのに、食材が育つ過程については無頓着だった。
主力商品の豆を育てている提携農場で畑の様子を見せてもらっていたけれど、それは長い過程の中の点に過ぎなかった。数時間の見学では天気や温度の変化を感じられない。季節ごとにどんな苦労が待ち受けているかも知りようがない。魚が切り身で泳いでいると勘違いしている今の子どもたちを笑えない。
2往復目のペットボトルをレモンの木の根元に傾ける。
実家のレモンの木から挿し木して育てていた苗を春に迎え入れた。土に植え込むと、優亜の背丈くらいになった。つぼみをつける少し前、枝に小さな青虫を見つけた。まわりの葉っぱがすっかり食い荒らされていた。他の枝も葉っぱを食べ尽くされて裸になっていた。顔を近づけてよく見ると、他の枝にも青虫がいた。
全部で5匹。産みつけられた卵が一斉にかえったのだろうか。
まさか、去年の?
去年の春、幼なじみのイチカの両親から出産祝いに贈られた有機野菜と一緒に、はるばる旅してきた青虫をベランダに放った。あのときの青虫が蝶になり、季節がめぐって戻って来て、ここなら食べるものにも困らない、と卵を産みつけた……。
まさかね。
蝶の寿命ってどれくらいなんだろう。そもそも、あのときの青虫は、どうなったんだろう。1年前のベランダガーデンはまだプランターも少なく、洗濯物の存在感のほうがまさっていた。
裸の枝の先に綿棒みたいに白いつぼみが膨らみ、一斉に花を開かせ、花が散ったレモンの木。花が終わった後に小さな青い実がつき、膨らみ始めている。このうちいくつが落ちることなく大きくなり、食卓にのぼるだろうか。庭のレモンの木でレモンケーキを作れるようになるのは、まだまだ先だ。
世話をしないと、植物はしおれるし枯れるし青虫に食べられる。食べものを育てるのは手がかかる。薬に頼らずに健康に育てるのは、もっと手がかかる。有機野菜が割高なのは、その手間ひまに値段がついているからなのだ。
3往復目の水を汲み、トマトに水をやる。数日前は青かった実が少しずつ赤の面積を広げ、食べ頃の色になっている。
イチカの両親から贈られた有機野菜は、就農したばかりのイチカのいとこが育てたものだった。ダンボール箱には注文案内も同封されていて、冷蔵庫の扉にマグネットで留めておいた。そのうち取り寄せてみようと思いつつタイミングが合わずに機会を逃していたのだが、この春から月に1回の定期便を注文している。
注文のやりとりのメールの中で「ベランダで野菜を育ててみたい」と相談したところ、トマトはどうでしょうと勧められた。ミニトマトが育てやすいが、小さい子は喉を詰まらせる可能性があるので、難易度は上がるけれど普通のトマトはどうでしょうと提案され、青い実がついた苗を送ってもらったのだった。
トマトの木の根元に水が吸い込まれていくのを見ながら、イチカに想いを馳せる。
短距離走も長距離走も学年で一番速かったイチカ。人生を走り抜けるのも駆け足だった。イチカが亡くなって、1年遅れで優亜が生まれた。つい1年足して、イチカがいなくなってからの長さを計算してしまう。
いなくなったイチカに娘を会わせることはできないけれど、イチカのいとこが育てた野菜が母乳になって娘に注がれた。イチカのいとこから引き継がれたトマトも、娘の口に入り、娘を作る。
ペットボトルを抱えて5往復する間に日が少し高くなっている。同じように夏を迎えたベランダの庭で、夏バテするものもあれば、たくましく実を太らせるものもある。少し前だったら、しおれた苗を見て、一緒にしおれてしまっていた。今は、なくしたものよりも残されたものにスポットライトを当てられる。
今は。というか今日は。今のところは。
引き算国と足し算国の境い目は、くっきりと線引きされていなくて、いつ踏み越えたのかわからない。ちょっとしたきっかけで、あっち側に行ったりこっち側に行ったりする。キッチンとベランダを往復しながら直美の想いもあっちこっちへ行ったり戻ったりする。通勤電車に揺られる頭の中もそんな感じだ。
通勤を終え、直美はキッチンでノートパソコンを立ち上げる。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第124回 伊澤直美(42)「近づきすぎると影が落ちるから」へ。
編集部note:https://note.com/saita_media
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