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連載小説『漂うわたし』第150回 多賀麻希(50)「ひとり・ふたり・ことり」

カルチャー

2024.03.16

【前回までのあらすじ】アトリエを持てる広い部屋に引っ越すことにした麻希とモリゾウ。賃貸ではなく購入で物件を探すと、日当たりの良い庭つきのマンション1階の部屋が。内見を待ちきれず、外からその部屋を見に行く。モリゾウに「社長」と呼ばれ、東京での苦しかった日々が報われたと思う麻希。溜め込んだ胆石が羽根になり、鳥になって飛び立つ姿を思い浮かべる。

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連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし

第150回 多賀麻希(50)ひとり・ふたり・ことり

内見の日も晴れていた。行きは電車だったが、帰りは歩きたくなり、回り道してパティスリーで特別な日のシュークリームを買ってアパートに帰ると、住み慣れた部屋は何もかもが小さく古く見えた。

天井は低く、壁も床も薄く、壁紙はくすみ、早くここから引っ越したい気持ちが募る。パティスリーからは遠くなるが、新しい街でもきっとおいしいシュークリームに出会えるだろう。

シュークリームを食べながら、胆石が鳥に化けた話をすると、「チョキントリだ」とモリゾウは言った。
 
「そんな鳥がいるの?」
「子どもの頃、借金取りが家に来てさ」
 
モリゾウが昔語りを始めた。
 
家財道具や電化製品を持って行かれた。壁には穴が開き、割れ物は壊れたり欠けたりした。借金を作った当人の父親は何日も家に帰っていなかった。「旅行に行っている」と母親はモリゾウに説明していたが、借金取りには「あの人の行方は知りません」と言っていた。
 
借金取りたちが去った後、物は少なくなったが眺めはうるさくなった家の中で幼いモリゾウは立ち尽くしていた。悲しいとか腹立たしいとかいう感情は起きなかった。感情まで持って行かれた気がした。
 
「やられっぱなしじゃ終わらないよ。世の中は辻褄が合うようになってるんだから」
 
母親は何か言わないと泣いてしまいそうな充血した目をしていた。
 
「いつか取り返せるから大丈夫。借金取りの逆、貯金取りが来る。絶対」
 
そう言った何年か後、母親もいなくなり、モリゾウはひとりになった。
 
「免罪符だったのかな。お前をまた不運が襲うけど、後から天が埋め合わせするから心配するなって」
 
モリゾウはそう言ってから、「借金取りの逆は貯金取りじゃないよな」と呟き、小さく笑った。
 
その状況で貯金取りという言葉を思いついたモリゾウのお母さんは頭の回転の速い人だったのだろうと麻希は想像する。モリゾウの頭の良さはお母さん譲りなのかもしれない。
 

モリゾウは麻希がこれまで出会ったなかで一番頭のいい人だ。よく本を読んでいると感じさせて、知的なユーモアがあって、麻希の知らないことをたくさん知っている。
 
頭がいいなと特に感心するのは、押し出すときより受け止めるときのような気がする。シュークリーム

麻希が動揺してもモリゾウは揺るがない。こんなとき昔の人はどうしていたか、誰に何を聞けばいいか、サンプルや答えをたくさん持っているからなのだろう。水面を漂う薄い木の葉は小さなさざ波にもあおられてしまうけれど、船なら波をやり過ごして進んで行ける。知識と経験を蓄えた懐の深さがモリゾウの船の大きさだ。
 
「呪うより祝うほうがめでたいから」
 
麻希がインフルエンサーのケイティにひまわりバッグのデザインを盗まれ、何も手につかなくなったとき、雪だるまを固めながらモリゾウがかけてくれた言葉。あのとき、頭にはチョキントリのことがあったのかもしれない。奪われたのではなく与えたのだという発想の転換が、呪いたいことを祝いたいことに変えてくれる。
 
「そう言えば、マスターがよくテンペイって言ってる」
「テンペイ?」
「モリゾウは聞いたことない?」
 
麻希がモリゾウからバイトを引き継いだ新宿三丁目のカフェではペイ払いを導入していない。現金を持ち歩いていない客がどうしようとなると、マスターは「じゃあテンペイで」と人差し指を上に向ける。
 
麻希が20代の頃に働いていた映画製作プロダクションが同じビルの3階に入っていたが、マスターが指差しているのはもっと上だ。テンペイのテンは「天」のこと。

律儀に支払いに戻って来る人とテンペイに甘えたままの人の割合は半々で、中にはリピーターもいる。つけ込まれているのではと麻希が心配すると、マスターは「ええねん。これでまたテンペイが貯まる」と涼しい顔をして言う。

客がテンペイ払いをすると、マスターにテンペイが貯まる仕組みらしい。

「お天道様は見てるって、チョキントリと同じ発想だよね?」
「じゃあ俺とマキマキ、相当テンペイ溜まってない?」
 
踏んだり蹴ったりには、ふたりとも自信がある。利子もついているかもしれない。


 「ひとり・ふたり・ことり」鳥

舞台のタイトルみたいをそらんじるようにモリゾウがつぶやいた。
 
「ひとりがふたりになったらチョキントリが来るの?」
「てことはマキマキがチョキントリだ」
 
お互いがお互いのチョキントリってことだねとお酒も飲んでいないのにほろ酔い気分になり、食べかけのシュークリームとシュークリームを合わせて乾杯した。

浮かれていた。だから、その電話がかかってきたときも当然いい知らせだと思ったのだが、スピーカーフォンにしたスマホかた聞こえた若い男性の声は、住宅ローンの審査を通らなかったことを淡々と告げた。
 
担保になるものがないので生命保険への加入が必要だと言われたが、その余裕はない。
 
「命を担保にするのか」
 
電話を切ったモリゾウが低い天井を仰いだ。
 
考えてみたら、払い切る頃には70代だ。勤め人なら退職の年齢を超えている。大抵の人は退職金で完済するのだろう。

30年後はわからないが、今だってわからない。夫婦ともにフリーランスで、麻希に至っては収入ゼロの月が続いている。モリゾウの今の収入は翻訳業が中心だが、仕事が舞い込むのは不定期で、少しずつ減っている。生成AIが優秀になり、仕事を奪われている。
 
だからこそ家を買うのはいい考えだと思った。確かなものを手に入れたかった。なのにスタートラインにさえ立たせてもらえない。 
 
夢や希望は萎みもするし砕けもする。そんなこと人一倍わかってる。だけど、膨らみきったところで割れる風船は痛い。

「思いつきの勢いで走り出してラストで失速する舞台みたいだ」
 
モリゾウがため息をついた。

電気が通っていれば幸せと言うこの人は欲の天井が低くて、今だって、この部屋で満足している。引っ越したいのは麻希のためだ。

だから、アトリエを持てなくても十分幸せだなんて伝えたところで慰めにはならない。アトリエを持たせたいと思ってくれたモリゾウの気持ちの値打ちが下がってしまう。あのとき喜んだのも嘘になってしまう。

夢を抱くときは足し算だが、夢が破れたときは引き算だ。アトリエを夢見ないふたりには戻れない。
 

チョキントリもテンペイも幻だ。まやかしだ。うまく行かない人生を誰かのせいにするのも、誰かに埋め合わせてもらおうと期待するのも、変わらない。手に負えない現実から逃げているだけだ。鳥

何を言っても空しいし、何も言わないのも気がとがめる。こんなときバイトが入っているのは助かった。
 
「縁がなかったんやな」
 
マスターはあっさり言った。シュークリームが売り切れていた、ぐらいの軽さで。シュークリームは日をあらためれば買えるが、あの部屋は他の誰かのものになってしまう。
 
「物件なんか次から次に出てくる。建物の数だけ1階はあるんやし」
 
1階ならいいというものではない。あの立地が良かったのだ。陽当たりのいい庭に四季の花を植えよう。実のつくものも育ててみよう。そんなことまで考えていたのに。

今のアパートの更新時期が迫っていた。引っ越し先が見つからないと、更新料を取られ、値上げした家賃を払い続けることになる。住む気のなくなった部屋に。予算を何百万円下げれば手が届くのか。そもそも家を持つという夢を持つことすら許されないのか。

「待っててみ。今にドカンと来るで。テンペイキャッシュバック!」
「マスター、調子いいけど当たらない占い師みたいなこと言ってる」
「こんなん信じたもん勝ちや。あると思たらある! 運命の扉が今開く!」
 
そう言ってマスターが店の入口のドアに両手を向けると、それが合図のようにドアが開いた。見計らったようなタイミングに麻希は吹き出しそうになったが、吐きかけた息を思わず飲み込んだ。
 
真っ赤なチューリップがふたつ、目に飛び込んだ。
 
入ってきた女性ふたりが手にしていたのはmakimakimorizoのバッグだった。
 
「来たんとちゃうか。テンペイ」

背中でマスターが囁いた。
 
 

次回3月30日に佐藤千佳子(51)を公開予定です。

saita編集部noteで『漂うわたし』制作秘話を公開中♪

編集部note:https://note.com/saita_media
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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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