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連載小説『漂うわたし』第170回 佐藤千佳子(58)「日と月と明るいほうへ」

カルチャー

2024.10.12

【前回までのあらすじ】「マルシェはどうなったの?」と夕食の席で夫に聞かれた千佳子。ハーブコンシェルジュのマイさんのパーティーに招かれた夏の終わりの日のことを思い出す。教え子やファンに囲まれたマイさんは太陽のように眩しかった。それに引きかえ自分には何もない。詰めが甘くて棚上げになったマルシェも、マイさんと一緒に何かやりたいという憧れからだった。「太陽の引き立て役」だと自嘲すると、「引き出し役」ではないかと夫が言った。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし

第170回 佐藤千佳子(58)日と月と明るいほうへ

「太陽の引き立て役じゃなくて引き出し役ってどういうこと?」

千佳子が聞くと、夫は「うーん」と言ったきり黙ってしまった。

日頃から言葉を選ぶ人だ。

質問の答えが返ってこないので聞こえなかったのかなと思って家事などをしていると、10分くらい経って思い出したように返事を言ってきたりする。その間、この人はずっと答えを考えていたのかと驚く。夫は研究職なので、妻の何気ない一言もじっくり掘り下げる癖があるのだろうか。粘り強いのか、口下手なだけのか。ポンポンと弾むような会話にはならないが、一言一言に希少価値がある。

「引き立て役と引き出し役って、あんまり変わらないんじゃない?」

食べるペースを緩めず、文香が言う。引き出し役と言われたほうがほめ言葉のように思えたが、言われてみれば大した違いはないかもしれない。

「うーん」と夫はもう一度唸る。肯定なのか否定なのかよくわからない。夫が考え続ける間に、包みきらない餃子が次々と文香の口の中に吸い込まれる。お代わりを焼こうかと千佳子が席を立ちかけたとき、夫が口を開いた。

「太陽と月の話を作ったよね」

話が飛んだ。

いや、飛んではいない。太陽と月でつながってはいる。

飛んだのは時間だ。一週間は日曜日から始まると言う夫の父と月曜日から始まると言う夫の母が言い争い、どちらも譲らず、夫の母が転がり込んできたのは、一昨年の秋のことだ。

千佳子が夫の母を持て余していることを聞いた野間さんが一人暮らしの家に迎え入れてくれ、美枝子さんと呼んでスーパーマルフルのパートに引き入れた。だが、年の瀬が近づき、正月を息子さんたちと迎えようとしている野間さんに気を遣い、美枝子さんは肩身が狭くなってしまった。年があらたまる前に仲直りしてもらわはなくてはと大晦日に夫の両親が顔を合わせる場を設けた。それが、日曜日と月曜日がケンカをする話の発表会だった。

文香が描いた太陽と月

「あったねー。『日曜日と月曜日がケンカした』。あれ、『月曜日と日曜日がケンカした』だっけ。ママどっち?」

どっちだっけ。日曜日が先だったような。太陽が先で月が後。タイトルですでに先と後の勝負がついてしまっていることにはたと気づく。

あの物語を引き出したと言いたいのだろうか。

日曜日と月曜日を擬人化し、夫の両親の代理の代理でケンカさせるという思いつきは千佳子から出たもので、他の曜日たちも巻き込んで誰が一番えらいかを争い、ますます収拾がつかなくなる流れまで考えたが、広げた話をどうまとめて良いかわからず、行き詰まってしまった。そのケンカの舞台が紙のカレンダーの上で、「だったら紙曜日を作る」と言い出すというアイデアを出したのは夫だ。曜日たちは誰が一番か争っている場合ではなくなり、紙曜日を食い止めることで団結するというオチがついた。

「あれはみんなで考えた話だから。絵を描いたのはふーちゃんだし」と千佳子が言うと、
「それもあるけど、うちの両親の本音を引き出してもらった」

発表会の後、夫の父と母のケンカにもオチがついた。

「一週間が日曜から始まるか、月曜から始まるか、そんなことはどうだっていい。美枝子さんがいないと一日が始まらない」

と夫の父が言い、

「一年も始まらないんじゃないの?」

と美枝子さんが応じ、ふたりは一緒に帰って行った。今思えば、ラブコメのようなセリフだ。

「親のゴタゴタに、ああいう応じ方があるのかと感心したんだ」と夫が言った。

「そのお話をカズサさんが朗読会で読んで、聞きに来てたkirikabuの人が布絵本にしたんでしょ? ママ、いろんな人から引き出してる。やっぱり引き立て役と引き出し役って違うかも。『引き立てる』はそこにあるものに光を当てる感じだけど、『引き出す』は埋もれているものを引っ張り出す感じ」

ほとばしるような文香の言葉を聞いて、千佳子は土に埋もれたチューリップの球根を思い浮かべる。

土に埋まったチューリップの球根ふたつ

「埋蔵主婦」とつぶやくと、
「ママそんな時代もあったよね」と文香が言う。

今は埋もれてないということだろうか。自分を掘り出して、光の当たるところに引っ張り出せたのか。そして、他の人を引き出す側に回れているのだろうか。わたしは今、そんな風に文香には見えているのか。

「中学のとき、ママに聞いたことあったじゃない? 男女っていつから逆転するのって」

あった。優秀なはずの女子が埋もれて頑張り損になってしまうなら高校や大学に行く理由なんてないのではと文香に聞かれ、うまく答えられなかった。

「あのとき、勉強って上に伸びていくものなんだって思ってた。でも、横に広がるほうが大きいかもってママを見てて思った」
「横に広がるって? 体型のこと?」
「出た自虐。じゃなくて、上か下で考えると、日曜日と月曜日みたいにどっちがえらいかって比べちゃうけど、広げていくのは、いろんな方向に進めるから、人と比べるっていうより自分が変わっていくビフォアアフターっていうか……」

文香が訴えようとしていることがわかるようで、よくわからない。

「上か下だと線で、広げるのは面なんだ」

夫が言うと、「そういうことかも?」と文香は語尾を上げ、続けた。

「とにかく、ママを見て、高校や大学に行った自分を見てみたくなったから、今の文香はママが引き出したってことです」
「ママほめられてる? ありがとう」
「良かったねママ。子ガチャ大当たりで」
「逆じゃないの?」

夫と娘に贈られた花とパセリの花束

「子ガチャって何?」と夫が聞いた。

「親ガチャの逆ってことでしょ?」と言うと、
「親ガチャって何?」とさらに聞く。

そこから説明が必要なのか。SNSに入り浸っているわけではない千佳子でも見飽きた単語に出くわさない環境にいるのか夫は。

「ガチャはわかる?」と文香に聞かれ、
「カプセルのおもちゃが出てくるやつ?」と夫が言う。

あの機械は昔からある。夫の認識は数十年前で止まっていて、カプセルの中身がどんどん進化し、種類もふえ、それ目当てに日本に来る人たちがいる現状は知らないだろう。

「あれって何が出るかわからないじゃない? それと同じで子どもは親を選べないから親ガチャ。その逆が子ガチャ」
「ふーちゃんは自分で自分のこと当たりだって言ってるってこと?」
「そういうこと」
「ママが当たりってことは、パパも当たりってこと?」
「そう。パパとママ、当たりが出て良かったね」

次の瞬間、千佳子と文香は「え?」となった。夫が箸を持っていない左手で指で目尻を押さえる。涙を拭う仕草だ。

泣いている?

箸を宙に浮かせ、文香と顔を見合わせた。

夫は、静かに泣いていた。

「ちょっと、パパどうしちゃったの?」
「生まれてきて当たりだってふーちゃんが……」

口を開くと涙の蛇口も開き、言葉が途切れた。子どもが自分のことを肯定しているのを知って、うれし泣きする。そんな人なのだ、わたしの夫は。文香の父親は。

「もうっ、パパ、餃子がふにゃけちゃうよっ」

からかう文香の声もちょっと湿っている気がする。つられてしまう前に千佳子は、「お代わり焼いてこよっ」と席を立つ。

太陽色の三日月に照らされて輝く草花たち

包みきらない餃子が焼けるのを待ちながら、月日貝のことを思い出した。

赤と白の二色になっている貝殻を太陽と月に見立てて名前がついた貝があるのだと教えてくれたのも夫だった。あのときも夕食のテーブルを囲んでいた。紅白貝ではなく月日貝と名づけたのがセンスだと文香は言った。ネットで見つけた画像には、日の光と月の光が海の底で出会って月日貝になったとうたう金子みすゞの詩があると説明が添えられていた。

日と月が合わさったら明るい。

小学校で習って以来飽きるほど見ている漢字の意味をあらためて思う。太陽になったり、月になったり、お互いの光を引き出し合って、照らし合う。みんな誰かの引き出し役なのだ。

線

次回10月26日に伊澤直美(57)を公開予定です。

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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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