第47回 多賀麻希(15) 「鬱金香」って何の花?
古墳王子に頼まれたバッグの余り布で作ったガマ口のポーチ3つを、ひとつ5000円で売り出した。
「全部売れる」から「ひとつも売れない」まで、売れ方のパターンは4通りだと麻希が言うと、「8通りじゃないっすか」とモリゾウが言った。
「1つ売れるパターンは3通り、2つ売れるパターンも3通りあるんで」
そうだったと麻希は思い出す。モリゾウは3つのポーチを別々の作品として扱ってくれている。
作品に値段をつけるのは、作者が大切にされている重さを量ることなのだとモリゾウに教えられた。たった一人、自分の作ったものを認めてくれる人がいるだけで、自分のことも、これまでの人生も抱きしめてもらえたように思える。
たとえポーチがひとつも売れなくても幸せだと謙虚な気持ちになりつつ、その値段で買いたいと思ってくれる人がいたらなおうれしいと欲が出る。
すぐに売れることはないだろうなと思ってはいたものの、1週間経っても品物は動かなかった。問い合わせすら来ない。
「値段下げてみよっか」と麻希は弱気になったが、
「下げる必要ないっす」とモリゾウは言い切った。
麻希も、できれば値下げはしたくない。一旦つけた値段を下げると、作品の価値も自分の値打ちも削られてしまう気がする。
「でも、もし、値段のせいで素通りされているとしたら」
「もっと上の価格帯の作品を並べましょう」
モリゾウが思いがけないことを言った。
「5000円でも売れないのに?」
「マキマキさん、聞いたことない劇団の5000円の舞台のチケット、買う気になります?」
「5000円出すのはギャンブルかな」
「今、マキマキさんのポーチに買い手がつかないのも、同じ理由だと思うんすよ」
「だったら、やっぱり値段下げたほうがいいんじゃない?」
「マキマキさん、5000円出すのはギャンブルだと思った舞台が、4500円なら出しますか?」
「うーん、どうだろ」
「じゃあ、その舞台にS席7500円のチケットがあったら、どうすか?」
「それなりにちゃんとしてるかなって思うかな」
「その舞台がA席5000円で観られるってなったら、どうすか?」
「ちょっとおトクって思うかも」
「そういうことっす」
値段を変えずに見え方を変えるんすよとモリゾウは続けた。
「あと、もう少し作品のことが伝わるようにしたほうがいいっすね。内側にポケットがついてることとか、サイズとか」
麻希が気になっていたことを、モリゾウのほうから提案してくれた。作品として扱ってくれるのは作り手としてはありがたいが、日常使いのポーチを探している買い手が求めているのは、芸術性より使い勝手の良さだったりする。
「舞台のチラシを作るノリで書いてたんすけど、他のショップを回ってみたら、とんがりすぎるって気づいたんすよ」
値段は攻めるけれど、紹介文は歩み寄ることになった。モリゾウがパソコンのキーボードを叩く傍らで、麻希はスケッチブックに鉛筆を走らせ、新作のデザインを考える。互いの作業の音がほどよいBGMになっている。
「モリゾウって、大学どこだったの?」
鉛筆を動かしながら、聞いてみた。
「東大っす」
キーボードを叩く手を動かしながら、返事があった。
「モリゾウって東大出てるの?」
「途中で」
「途中で? 中退ってこと?」
「演劇が忙しくなって」
「何専攻してたの?」
「英文学っす」
「だから紹介文が詩人っぽいんだ?」
「それは多分、演劇の影響っすね」
「東大生ってどんな感じ?」
「だいたい変態っす」
「変態?」
「いい意味で」
「いい意味で変態って、どういうこと?」
「マキマキさん、質問攻めっすね」とモリゾウがパソコンから顔を上げた。
「東大にいたって人に会ったの、初めてだから」
熊本にいたときも、東京に出て来てからも、東大に行った人の話は聞いたことがあったが、直接会ったことはなかった。東大に行くような人と麻希の世界が交わることはないと思っていた。
「そこらじゅうにいますよ。旗立てて歩いてないだけで。甲子園出たことある人のほうがレアっす」
「学歴の気配、消してたよね? うちの父に聞かれたときも言わなかったし。東大にいたって聞いたら、うちの父、見る目が変わったかも」
「そういうのに東大使うのは反則だと思うんすよ」
「東大使う」という言い方に麻希はしびれる。東大って、使うものなのか。
「演劇に入れ込んで東大中退って、ロックだけど親泣かせだね」
「おれの場合、うるさく言うような親はいなかったんで」
モリゾウはさらっと言ったが、親がうるさく言わなかったのか、学生の頃にはすでに親がいなかったのか、どちらの意味にも取れた。どちらにしても、モリゾウは自分の意志で大学を去ることを決め、親に止められることなく実行したようだ。
「どうしても卒業しなきゃってのは、なかったんすよ。太宰や三島も中退してるし」
「三島由紀夫は卒業してるよ」
麻希が訂正すると、「あれ? そうっすか?」とモリゾウが驚いた。
「大蔵省は一年もしないうちにやめちゃったけど。それと混じってるかも。あと、太宰は中退じゃなくて除籍されてる。授業料滞納かなんかで」
「マキマキさん、なんでそんな詳しいんすか?」
「出版社の校閲の仕事してたことあったから」
文学全集の付録だっただろうか、文豪たちの経歴をまとめた冊子を校閲したことがあった。
「マキマキさん校閲やってたんすか? すごいじゃないっすか」
「派遣だけどね」
派遣だけど、麻希は重宝された。漢字に強かったのだ。中学校を休みがちだったとき、家にいてもやることがないので本を読んでいたのだが、それが役に立った。あまり本を読まない家だったが、父親が贔屓にしている作家のシリーズものの時代小説だけは揃っていた。
映画製作会社にいた頃も、撮影の準備稿の誤字を指摘して驚かれたことがあった。
「マキマキて、大学どこやったん?」と関西人の社長に聞かれ、
「わたし専門学校ですよ」と答えると、
「下手な大卒より漢字読めてる」と褒められた。
「これ読める?」
バッグのデザインを探っているスケッチブックの隅に《鬱金》と書いてモリゾウに見せると、「ウコンっすか?」とすぐに答えが返ってきた。
「正解。さすが」
「鬱に金って、すごい字ヅラだなって思ってたんすよ」
「鮮やかな黄色って意味らしいから金はわかるけど、なんで鬱の字なんだろ」
「金銭トラブルで憂鬱ってイメージっすよね」
「じゃあこれは?」
《鬱金》に《香》を書き足して、見せた。
「ウコンコウっすか?」
「ウコンに似た香りのする花の名前」
「花の名前なんすか? ウコンって、どんな香りしましたっけ?」
こんなに「ウコン」で盛り上がったのは初めてだなと思いながら、「チューリップ」と麻希は答えを告げた。
「チューリップの花の香りって、印象ないっす」
「実はわたしも。春が来たら、嗅いでみよう」
「そうっすね。ウコンの香りと比べたいっすね」
まるで春まで一緒にいることが約束されているみたいな会話だ。互いの肌に触れることも、互いの気持ちを確かめることもないまま、水がしみ込むように、相手の存在が生活の一部になっている。
「キ〜カンキ〜 ワカンムリ〜 コ〜メ〜ハコヒ チョンチョンチョン♪」
パソコン作業に戻ったモリゾウが、童謡「チューリップ」のメロディーにのせて、「鬱」の字の書き方を歌う。
「チューリップ、いいかも」
麻希の鉛筆が走り出す。幾重にもなっている花びらをパッチワークで作るのはどうだろう。
スケッチブックに、ひと足早い春が咲く。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第48回 多賀麻希(16)「30代最後の年に青春が始まった」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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