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連載小説『漂うわたし』 第166回 伊澤直美(56)「やったねの種」

カルチャー

2024.08.31

【前回までのあらすじ】スーパーマルフルのパートの佐藤(千佳子)さんの行きつけのパンケーキ屋でハーブマルシェへの出店を打診されたアイタス食品の直美。返事を保留しているが、娘の優亜と夫のイザオと共にパンケーキ屋を再訪することに。鉢合わせの心配が的中し、店には佐藤さんと娘さんが。優亜が着ているのは、娘さんからのお下がりのワンピース。打ち解ける合言葉は「おんなじ!」。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし

第166回 伊澤直美(56)やったねの種

「佐藤さんがシトラスにしたんだったら、違うのにしようかな」

シトラスのパンケーキをどうしてもつかまえたいと言っていたイザオは、定番メニューのブルーベリーのパンケーキに心変わりした。味見をさせてもらえるわけでもないのに、できれば違うものを頼んでテーブルをにぎやかにしたいのだ。

人の気も知らないで。

さっきから直美は「優亜のパンケーキをどうするか」で頭を悩ませている。

優亜はメニューを見て、「これ! おんなじ!」とメープルシロップのパンケーキのイラストを指差した。お気に入りの絵本に出てくるパンケーキと同じというわけだ。直美とイザオが注文するうちの一枚をそのパンケーキにするか、大人のパンケーキとは別にそのパンケーキを注文するかで悩んでいるうちに、イザオはさっさと「俺ブルーベリー」と宣言してしまった。

わたしだって自分が食べたいものを注文したい。シトラスのパンケーキをもう一度食べたい。

シトラスのパンケーキ

でも、優亜一人で一人前を食べきれるだろうか。

さっき、お店の人が子ども椅子を持って来てくれた。普段は奥にしまってあるらしい。だったら、メニューに載っていない子どもメニューもあるかもしれない。聞いてみようか、どうしようか。

「決まった?」とイザオが急かすように聞いてきた。ブルーベリーのパンケーキが待ちきれなくて、早くお店の人に注文を伝えたいのだ。無邪気と言おうか、能天気と言おうか。直美は呆れるとともに、うらやましくも思う。パンケーキを注文することに心が浮き立つ人生と心をかき乱される人生。できることなら前者を生きたい。

「優亜、食べきれるかな」
「食べる食べる。食べきれなかったら、俺が食べる」

優亜よりもイザオのほうが張り切っている。

「パパ、子どもみたいだね」と直美が優亜に言うと、
「優亜とおんなじ、おんなじだな」とイザオはおどけ、
「パパ、おんなじ!」と優亜を笑わせた。

「いいな。明るいパパで」と佐藤さんの娘さんが言う。
「ふみかちゃんのパパって、どんな感じ?」

イザオはいつの間にか娘さんを下の名前で呼んでいる。

「ふみかちゃん?」と直美が名前を確かめると、
「文が香ると書いて文香です」と本人が人差し指で空書きして字解きをしてくれた。名前と雰囲気がよく合っている。

「うちは静かなんです」と佐藤さんが言った。うちのパパはということだろう。

「パセリには詳しいんですけど」とつけ足す。パセリに詳しい、物静かなダンナさん。佐藤さんがパセリに思い入れがあるのは、ダンナさんの影響なのだろうか。

直美が注文を決める前に、佐藤さんと親子のパンケーキが運ばれてきた。文香ちゃんはチョコレートバナナのパンケーキにバニラアイスをトッピングしている。

「レモン! おんなじ!」

優亜がメニューのシトラスのパンケーキにのっているレモンに反応した。

「バナナよりそっち?」と文香ちゃんが意外そうに言う。

「うちで育てているんです」とイザオが言うと、なるほどと母娘はうなずいた。同じようなタイミングで、同じような速さで、同じような深さで。うなずきのシンクロ具合が親子だ。

直美の実家の玄関のレモンの木

実家から株分けされたレモンの木が今年は花をつけ、実を膨らませている。実家のレモンは優亜の手が届かず、だっこして実に手を伸ばすが、鉢植えのレモンは優亜が手を伸ばして収穫できる。強風で実が落ちないよう、台風が近づくと鉢をリビングに取り込んでいる。

母から押しつけられたレモンの木が、こんなところで活躍するとは。

「ゆあちゃん、これがいい!」

優亜が佐藤さんのシトラスのパンケーキを指差し、注文が決まった。

そっか。絵本のパンケーキと同じでなくて良かったんだ。

絵本とはまったく違うパンケーキに、優亜は「おんなじ!」を見つけた。同じであることを求めるのではなく、違うものの中に「おんなじ」を見つけて、仲良くなる。

「優亜ちゃん、いま3歳くらいですか?」と佐藤さんに聞かれ、
「1月22日に3歳になります」と直美が答えると、
「じゃあ3歳になる前だったのかな」と佐藤さんは遠い目になった。

「文香が今の優亜ちゃんくらいだった頃、ファミレスでギャン泣きしたことがあって」
「そうだったんですか」
「口に運ぼうとしたアイスがスプーンから落っこちて、テーブルにボタって。そしたら店じゅうに響き渡る大声で泣いちゃって。近くで打ち合わせしていたスーツの男性に、黙らせろって怒鳴り込まれて」
「そんなことしたら、ますます泣いちゃいますよ」
「泣きました。親子で」
「それは辛いですね」とイザオが口を挟んだ。
「そうなんです。あのとき、そう言ってくれる人がいたら救われたんですけど」

他のお客さんも店員さんも遠巻きに見るだけで、いたたまれず店を出たという。

「そのお店に行けなくなっちゃって。すぐにテナントが変わっちゃったんですけど。あ、その系列店で読んだんです、月刊ウーマン」

「ママ、話が飛びすぎ」と文香ちゃんがツッコミを入れるが、
「大丈夫わかります」と直美は言い、「わたしが載ったときの」とイザオに補足を伝えた。

佐藤さんと文香ちゃんがゆっくりゆっくり食べ、直美たちのパンケーキが追いつくのを待ってくれた。

厨房からブルーベリーのパンケーキとシトラスのパンケーキを運んできたのは男性で、後から小ぶりの皿を持って、いつもの女性が続いた。

ミニサイズのシンプルなパンケーキがのっている。

新作パンケーキ

「ぱんけーき、おんなじ!」

優亜が歓声を上げた。

「頼んだ?」の目で直美とイザオが顔を見合わせると、
「絵本とおんなじって話されているのが聞こえて」とお店の女性が言った。

「うちの子が小さい頃、大好きだった絵本にもパンケーキが出てくるんです」
「同じ絵本かどうかわかりませんが」

女性に続けて男性が言う。ふたりは夫婦らしい。

「切り株の椅子に座って、みんなでパンケーキを食べる場面があって」

「パンケーキパパン?」と文香ちゃんが絵本のタイトルを言うと、「それです!」「それ!」と大人たちの声が重なった。

「きりかぶのいす!」と優亜が興奮気味に訴える。kirikabuのアルファベットを読めないので、お店の名前と絵本の切り株が今つながった様子だ。

知っているけれどつながっていないだけのことって、他にもたくさんあるんだろなと直美は思う。リボンの端がたくさん出ていて、ひょんなことで端と端が出会って結ばれる。

切り株の椅子。帰ったら絵本を見てみよう。

「絵本のパンケーキ、やったね!」と文香ちゃんが言う。
「やったね!」と優亜が繰り返す。

「やったねの中に種が入ってる!」と佐藤さんが気づき、「やっ・たね」とイザオが言い直し、文香ちゃんと優亜が真似をし、「たね」で言葉を終わらせる遊びが始まった。

「優亜ちゃん、全部食べ・たね」
「おいしかっ・たね」
「笑い過ぎ・たね」
「来て良かっ・たね」

インフルエンサーのケイティの信者たちが「OK」と「ケイティ」を組み合わせて「OKTです!」と言い合うのを寒々しく思っていたが、ダジャレのような合言葉はクセになる。どんどん楽しくなる。今、他のお客さんが入って来たら、「たね!」「たね!」と言い合うふた組の親子を見て、何事かと心配になるだろう。

親子みたいな新芽三つ

店を出て、バイバイするときになって、優亜の笑顔が消えた。

「イヤ! おねーちゃんとかえる!」

文香ちゃんにしがみついて、べそをかいた。

「優亜ちゃん、また遊ぼ」と文香ちゃんが言う。
「そうだよ。またすぐ会えるよ」と直美も言う。

店に来る前は鉢合わせしたらどうしようと思っていたのに。だけど、良いほうへ手のひら返しできるやわらかさは持ち合わせていたい。

「またね」

泣きべその優亜は絞り出すように言ってから、「たね!」と気づいて泣き笑いになった。

「ま・たね」と言い合い、手を振りながら佐藤さん親子と遠ざかる。来るときよりもずっと足取りが軽い。

「たくさん種まい・たね」とイザオが「たね」を強調して言ったのが「まいったね」に聞こえて、それもなんだかおかしくて、坂を下りながら直美はずっと笑っていた。

罫線

次回9月14日に多賀麻希(55)を公開予定です。

編集部note:https://note.com/saita_media
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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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