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連載小説『漂うわたし』第122回 佐藤千佳子(42)「宝探しのパンケーキ」

カルチャー

2023.07.15

【前回までのあらすじ】カフェ「kirikabu」でパンケーキを待ちながら、野間さんから贈られたチューリップバッグを白杖のカズサさんに触ってもらう千佳子。カズサさんからは『日曜日と月曜日がケンカした』の朗読を聴いた人が作った太陽と月のパッチワークを見せられ、布絵本を作りたいと相談される。感激していると、パンケーキのにおいとともに作者が現れた。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし

第122回 佐藤千佳子(42)宝探しのパンケーキ

「私です」と現れたのは、お店の人だ。30代にも40代にも見える女性。つまり、千佳子より年上にもカズサさんより年下にも見える。

化粧っ気がない、ふっくらした顔を見るたびに、パンケーキに似ていると千佳子は思う。バイトの若い子は時々入れ替わるが、この人はいつも店にいる。パンケーキはこの人が焼いている。オーナーではないかと千佳子は思っている。今日は一人で切り盛りしていて、注文を取ったのもこの人だった。

この人。または、お店の人。

名前を知らないと、こんな呼び方になる。「奥様」も、なんと呼べば良いかわからないときの便利な呼び名というだけで、使うほうも好んで使っているわけではないのかもしれない。

「チョコバナナは……」とお店の人が言いかけると、「私でーす」とカズサさんが手を挙げた。カズサさんの前にチョコバナナのパンケーキが置かれる。千佳子が頼んだのはオレンジとリコッタチーズのパンケーキ。飲みものは、ふたりともホットのアールグレイをストレートで。

「さっきの会話、聞こえてました?」もカズサさんが聞くと、
「はい」とふっくらした頬に笑みが広がった。

パッチワークを見た千佳子の反応を、キッチンからドキドキしてうかがっていたのかもしれない。

「作者さんと会えるとは」と千佳子が言うと、
「私もです」とお店の人が言い、
「作者がふたり揃いましたね」とカズサさんが言うと、
「作者っていうのは、おこがましいですけど」と千佳子とお店の人の声と言葉が重なった。

太陽

「朗読会、いらしてたんですね」と千佳子が言うと、
「お店の外で会うと、わからないですよね。これ、着けてなかったですし」とお店の人が頭に巻いたバンダナを指した。

カズサさんの朗読サークルの発表会に来ていたのは20人ほどだったが、まさかkirikabuの人が来ていたとは。顔を覚えられる程度にはパンケーキを食べに来ているが、お店の人も千佳子には気づいてなかったようだ。

「朗読サークルにお知り合いがいらして、あの日、会場で私を見つけてくれたんです」とカズサさんが言った。

お店の人はカズサさんの朗読を聴いて、時々パンケーキを食べに来るお客さんだと気づいた。終演後、「kirikabuの者です」と声をかけると、「この声、聞き覚えあります」とカズサさんは言い、「私が朗読したお話の作者、一緒にお店に行ったことある人です」と教えたが、千佳子はひと足先に会場を後にしていて、「今度一緒にお店に行くときに紹介しますね」となったらしい。

「パンケーキが冷めてしまうので、後でまたお話しさせてください」

お店の人がキッチンに引っ込み、2種類のパンケーキとポットの紅茶が所狭しと並ぶテーブルに千佳子は目をやる。

「バナナとチョコがアツアツのパンケーキの上でとろけてます」

カズサさんは、においでパンケーキを見ている。

「紅茶が先か、パンケーキが先か」と千佳子が言うと、
「もちろんパンケーキから行きます」とカズサさんは言い、皿の右のペーパーナプキンに並んだナイフとフォークを手に取った。迷いのない動きだった。店によってトレーにカトラリーが入っていることもあるが、kirikabuではお皿の右側と覚えているのだろうか。そう思って、千佳子が聞いてみると、「ナイフとフォークを置く音がしてましたから」とカズサさんは言った。

パンケーキ

店の名前のアルファベットをかたどった木を壁に貼りつけているkirikabuは、カトラリーも木でできている。木のテーブルに木のカトラリーを置くときに立てるのは、優しくささやかな音だ。その音がお皿の右側で聞こえたのが、「ここのナイフとフォークがあります」の音目印になった。

「パンケーキは、何から行きます?」と千佳子が聞くと、
「出たとこ勝負です」とカズサさんは答えた。

カズサさんの左手に持ったフォークの先が、バナナに当たっている。「バナナかな」とカズサさんは予想して口に入れ、「当たり」と答え合わせをした。

「フォークでつついた感じで、バナナってわかるんですか?」
「バナナがどこかにいることはわかってましたから。食べてみて、初めてわかることも多いです。ロシアンルーレットです」

カズサさんは、においでパンケーキを見る。トッピングのバナナとチョコレートソースも見る。バナナがどんな風に配置されているかはわからないけれど、フォークの手応えで探し当てる。

「ここのパンケーキは何度も食べてますし、だいたいこんな感じってわかってますけど、よその店で紙食べてしまったことありますよ」
「紙ですか?」
「お店のロゴが入った飾りの紙がクリームに刺さってたのをクリームごと食べちゃったんです。ヤギちゃうわってね」

カズサさんは大阪弁でおどけて笑い話にしたが、目で確かめられないゆえの失敗は日常茶飯事なのだろう。

「わたしも飾りを間違えて口に入れちゃったこと、あります」
「佐藤さんでも、そんなことあるんですね。じゃあ、お弁当の仕切りのギザギザの草、食べちゃったことあります?」
「それは、ないです」
「私はあります。勝ちました」
「負けました」と千佳子は言い、笑っていいのか迷ったが、カズサさんが笑ったので、一緒に笑った。

球根

不妊治療をしていたときのことを思い出す。待合室で何度か顔を合わせた女性と一度だけお茶をした。当時、千佳子は20代後半だったが、その女性は30代半ばに見えた。なかなか結果の出ないもどかしさや不安を打ち明け合った。夫にも言えない、友人にもこぼせない、けれど一人で抱えておくにはしんどい話をテーブルに出し合った。

「モニター画面で夫の精子の動きを見せてもらったんですけど、のらりくらり蛇行しちゃってて、じっと見てたら眠くなっちゃって」と千佳子が言うと、「精子に寝かしつけられたって人、初めて会いました」とその女性が笑ってくれ、千佳子もつられて笑った。「精子に寝かしつけられた」という言い回しがおかしくて、思い返しては笑った。涙が出るまで笑った。

あの後、千佳子は治療をやめて、文香を授かった。その人とは連絡先を交換していたが、連絡できなかった。自分だけ授かっていたら、相手を置いてけぼりにしてしまう。同じことをされたら傷つくだろうと思った。

あの人は、どうなっただろう。どうしているだろう。もしかしたら、彼女も同じ理由で連絡できずにいるのかもしれない。

「あ、クルミだ」とカズサさんが声を弾ませる。バナナのまわりに散りばめたクルミを見つけた。

「クルミ、好きですか?」
「はい。当たりです」

宝探しをするように、カズサさんは出たとこ勝負を楽しんでいる。

kirikabuのメニューはパンケーキがイラストで描かれている。注文したとき、カズサさんにイラストの説明はしたが、クルミのことは言わなかったのではないかと千佳子は振り返る。何かのナッツかなと思ったが、イラストなので、よくわからなかった。

「カズサさん、さわれるメニューがあったら、どうですか?」
「さわれるメニュー?」
「布絵本みたいに、パンケーキをパッチワークにできたら、どうかなって」
「私はなくてもいいですけど、欲しい人もいるかもしれませんね」

そっかと千佳子は思う。正解はひとつじゃない。前にそのことを教えてくれたのもカズサさんだった、この店だったと思い出す。

「カズサさんには教えられてばかりです」と千佳子が言うと、
「何のことですか?」とパンケーキを切りながらカズサさんが聞いた。
「人の数だけ、答えはあるんだなって」
「佐藤さんのいいところは、わかった気にならないことですね」

カズサさんは千佳子をほめて、パンケーキを口に入れた。

 

次の物語、連載小説『漂うわたし』第123回 伊澤直美(41)「ベランダ通勤の頭の中」へ。

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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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