第87回 伊澤直美(29)記憶の地層から浮かび上がった母
「幼稚園のいも掘りかな」
直美と並んで歩いているイザオが、縦抱っこした優亜の背中を抱っこひもの外からトントンしながら言う。優亜は寝息を立てているが、イザオの手は慣性の法則のように寝かしつけの動きを続けている。
「手も顔も泥だらけになって、それがやたら楽しくて。帰ったときに母親がびっくりして。多分、俺史上一番汚し放題になってたんだと思う」
「抑圧からの解放、みたいな感じ?」
「そうだったのかなー。人生で初めて羽目を外した日だったのかもしれない」
思い出話をするイザオも楽しそうだ。30年も前の出来事をくっきり覚えているのは、それだけ非日常の体験だったということだろう。
人生で一番古い記憶は何かという話をしながら、電話が通じなくなっている直美の実家へ向かっている。
その家に父と母と直美の3人で暮らしていたが、大学入学を機に直美がひとり暮らしを始め、それを待っていたかのように父も家を出た。
父は今、レイコさんという人と暮らしている。
一度、夜中に起き出してきた父が、酔っていたのか、寝ぼけていたのか、直美を「レイコ」と呼んだことがあった。直美が高校生の頃だ。きっと、父の大切な人なのだろうと思った。父の呼び方が優しかったから。
レイコさんという人にも、そんな人がいる父にも、嫌悪感は覚えなかった。レイコさんがいるおかげで、父は母に何を言われても聞き流せる余裕があるのだろうと思った。
母が父と連絡を取り合っているのかどうか、直美は知らない。母は父の連絡先も知らないかもしれない。電話が通じなくなっていると言われたところで、父も何もわからないだろう。
実家に行ってみて確かめるのがいい。父に報告するのは、それからだ。
直美一人でそう決めたのではなく、イザオと話し合って決めたことだった。
「幼稚園のいも掘りってことは4歳か5歳ぐらい?」
「もう少し古い記憶もあるんだろうけど。ハラミの一番最初の記憶はボヤだっけ?」
「あれ? この話、イザオにしたっけ?」
「したよ。新人研修で同じチームになったとき。お母さんが揚げ物してたら油に火が入って、軽くボヤになって。そのときの焦げた匂いを今も覚えてるって」
思い出した。脳の「匂いをつかさどる場所」と「記憶をつかさどる場所」は近くにあり、匂いと結びついた記憶は残りやすいという講義を研修で受けた。
食べ物の匂いや香りは思い出とともに長く続く。食品開発では匂いや香りは大事な要素だが、作っているとき、食べているときはもちろん、後々まで思い出に残ることを心に留めておきましょうというのが講義の趣旨だった。
それを聞いて、だからボヤの匂いが記憶にこびりついているのかと直美は腑に落ちたのだった。
ボヤのときの強烈な匂いは、幼い直美にとって衝撃的だったのだろう。また、すぐに消し止められたとはいえ、母親がパニックになっている姿を見て、身の危険を覚えたのかもしれない。匂いは身を守るためのサインでもある。
「3歳頃って言ってたっけ。それがハラミの一番古い記憶?」
「だと思ってたんだけど、こないだ、ハイハイしてた頃の記憶が蘇ったんだよね」
「蘇った?」
「優亜がハイハイしてるの見てたら、フラッシュバックみたいに」
直美の脳裏をよぎったのは、「ハイハイしている自分」の主観だった。ハイハイの目線から見た部屋の間取りや家具の配置は、直美が生まれたときから住んでいた家のものだった。
「ハイハイしてたってことは、今の優亜ぐらいの頃?」
「そうなるのかな」
「それが自分の記憶だって、なんでわかったの?」
「わたし、この光景知ってるって思ったんだよね。夢じゃなくて、起きているときだったし」
「記憶の底から浮かび上がった感じ?」
「そう。前からあったけど埋もれてたんだと思う」
「いも掘りのいもみたいに?」
新しい記憶がどんどん積もって、古い記憶が下へ下へと沈み、時間に踏み固められ、地層になる。今が過去になり、歴史になっていく。
「じゃあ俺も、ある日突然ふわっと思い出すのかも。ハイハイしてる自分とか、おねしょしてる自分とか」
イザオが「自分」「自分」と繰り返す。直美は、さっきから記憶の地層の底のほうが引っかかれているような感覚がある。いも掘りで土に潜った手が何かにぶつかった感じ。もっと掘り進めば、全貌が見える。
「自分って、いつから自分なんだろ」という先日からの疑問が頭をもたげ、口にする。
「ハラミ、こないだもそんなこと言ってなかった?」
「だってまだ答え出てないし」
そもそも、自分って、何なんだろ。
そんなことを考えるようになったのは、中学生の頃だ。制服を着て、校則に縛られて、みんなと揃えることが標準だった頃。それでいて、母に理想を押しつけられて、人より抜きん出ることを求められていた頃。自分は何者で、何のために存在しているんだろうというモヤモヤしたものを胸に抱えていた。
それから20年余り経った今も、これが自分だといえるものをつかめたのかというと自信はない。
「ヘレン・ケラーが『水』を知ったときみたいに、これが自分だって雷に打たれる瞬間があるのか、少しずつ学習していくのか、どっちなんだろな。合わせ技か」
イザオは真剣に考えているが、答えはどうだっていい。今は他愛もない話をしていたい。母とは関係のない話。あと数百メートルで実家に着く。次の次の角を曲がって3軒目。時間にしたら5分もかからない。
地層の底がまた引っかかれるのを感じる。カリカリと、ガリガリと。掘り進められ、埋もれている記憶が顔をのぞかせる。
水。
子どもの手。
大人の手。
記憶のかけらのパズルが合わさっていき、一つの光景が浮かび上がった。
蛇口から勢い良く流れる水。そこは、直美の実家の台所だ。水の下に差し出された小さな手は、幼かった直美の手だ。小さな体が浮いているのは、後ろから母が抱き上げているからだ。
手首が痛い。母がぎゅっと握っているのだ。
その痛みが蘇る。
母の手に力が入っているのは、母が必死なせいだ。
手に走った電気のビリビリが蘇る。
そうだった。幼い直美は感電したのだ。ハイハイの時期だったか、歩き始めた後だったか。子どもの低い目線にコンセントがあり、好奇心にかられて手を伸ばし、プラグを抜こうとした。その手が濡れていたのだろう。
泣き叫ぶ直美の声に母が飛んで来て、悲鳴とともに直美を抱き上げ、台所へ走り、石鹸で手を洗ったのだった。
今思い出したことをイザオに脳内実況すると、「感電したら石鹸で手を洗うんだっけ」と言われ、直美も「どうなんだっけ」となる。
それが正しい対処法だったのかはわからない。無我夢中で咄嗟に思いついただけかもしれない。母は20代で直美を産んでいる。当時の母は、今の直美よりずっと若かったし、子育ての情報は今みたいに手元に呼び出せなかった。幼い直美の手首をぎゅっとつかむ母の手の力は焦りと不安と切実がこもっていた。
目の前に抱っこひもから飛び出した優亜の手があった。その手首を握る。その温もりを確かめる。その存在を確かめる。
「どうしたの?」とイザオが聞く。
「お母さんに会いたい」
母に会いに向かっているのに、気持ちが後からついて来た。
お母さんに会いたい。
そこにいるかいないかを確かめるのではなく、母の顔を見たい。母に触れたい。想いが込み上げると同時に、母にはもう会えないのではないか、会えなかったらどうしようという不安が募る。
ずっと、母に会うのが怖かった。
今は、母に会えないのが怖い。
角を曲がると、実家が見えてくる。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第88回 伊澤直美(30)「母とわたしと犬とレモン」へ。
編集部note:https://note.com/saita_media
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