連載記事

連載小説『漂うわたし』第119回 多賀麻希(39)「ドレスに蒔いた種」

カルチャー

2023.06.17

【前回までのあらすじ】ネットショップに問い合わせのあった女性から、母親がかつて着たというウェディングドレスを託された麻希。母親への屈託を感じ取り、ドレスをクローバーの刺繍で上書きする。一緒に暮らすモリゾウと結婚する未来は思い描けない。ウェディングドレスを着ることはないだろうと諦めつつ、このドレスを返したくないという執着が生まれる。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

多賀麻希の物語一覧はこちら

漂うわたし

第119回 多賀麻希(39)ドレスに蒔いた種

ウェディングドレスを預かった新宿三丁目のカフェでドレスを納めた。緑に塗り替えられた裾を見るなり、依頼人の田沼深雪さんの目に涙があふれた。

やりすぎたか。

膝の上で握りしめた麻希の手の内側に汗が滲んだ。

胸についた小さなシミを隠したクローバーの刺繍を下へ、左右へと広げた。更地にこぼした種が芽吹くように、白いレースにクローバーが次々と茎を伸ばし、葉っぱを開き、気がつくと、裾一面に野原のように生い茂っていた。

お任せしますとは言われていたが、ここまでやるとは予想していなかっただろう。麻希自身も、ここまでやるつもりではなかったのだ。日が暮れたことに気づかず遊び続ける子どものように、針を運ぶことに夢中になっていた。

「まさか、こんな風になると思わなくて……」

依頼人の声が涙で震えていた。取り返しのつかないことをしてしまったのだと麻希は打ちのめされる。依頼人は母にドレスを押しつけられたのだ、わたしにはそれがわかるという謎の根拠に乗っかって、上書きしてしまった。糸を抜くことはできても、跡が残る。元のドレスには戻せない。

カウンターから見守るマスターの視線を感じる。マスターから依頼人の涙は見えなくても、震える背中には気づいているだろう。

「すみません。途中で確認すれば良かったです」
「いえ、こんな……着たくなるドレスになるなんて思ってなくて」

「え?」と思わず聞き返す。ドレスを台無しにされて泣いているのではなかったのだ。やはりドレスに愛着はなかったのだ。麻希は自分の推理が正しかったことを確認する。

「もしかして、どうなってもいいと思ってました? このドレスを着ない理由ができたら、それはそれでラッキーって?」

敗者復活の勢いで踏み込んでみると、依頼人が驚いた顔で麻希を見た。どうしてわかるんですかと涙に濡れていっそう大きくなった瞳が問いかける。

「預かり証も交わさずに、初めて会った相手に大事なドレスを預けたりしないかなって」
「そっか。そうですよね」

シミのついたドレス

ネットでポーチやバッグを細々と売っている無名の布雑貨作家。その活動すらもゴタゴタで止まっている。いわくつきの依頼をするには打ってつけだったのだろう。

けれど、どうなってもいいと投げやりになっていたドレスは、思いがけず、着たいドレスになって返ってきた。その驚きと作者への後ろめたさが涙をあふれさせたのではないか。

身勝手なのは麻希も同じだ。依頼人のためではなく、自分のために針を動かしていた。預かりもののウェディングドレスであることすら、途中から忘れていた。

高校生のとき、教科書を燃やした火が燃え広がり、家の裏庭を焼き尽くした。根が残っていたのか、種が飛んで来たのか、焼け跡に緑が芽吹き、広がり、麻希のしたことを覆っていった。あのときの景色をドレスの上に再現していた。

「それで、お礼なんですけど」と依頼人が切り出し、
「お礼は、最初にいただいています」と麻希は用意していた答えを告げた。
「でも……」と依頼人がためらうのも想定内で、
「普通に請求したら、とんでもない金額になってしまうので」と強がって返すと、
「お支払いします」と依頼人が食い下がった。

「だったら、わたしが結婚するとき、このドレスを着させてください」

自分を試した依頼人を、試してみたくなった。相手が怒り出しても、失うものなどないのだ。

依頼人が黙ったのを見て、「なーんて嘘です」と明るく言った。

「とても手触りのいいドレスでした。好きにさせてもらえて、気持ち良かったです。期待されてプレッシャーかけられるより、伸び伸びできました」

更地に芽吹く草

お互い、しがらみがなくてラクでしたよねという感じでサバサバと告げた。手付金で渡された5万円では到底足りないが、いくらだったら折り合いがつくのかと聞かれても値段をつけられない。だったら、まだ作れるという自信と、もっと作りたいという意欲を引き出してもらったことを報酬にしたい。

「期待、してなかったわけじゃないですよ」

今度は麻希が驚く番だった。依頼人が続けた言葉に、さらに驚いた。

「『幸せのしっぽ』って映画、知ってます?」

知っているどころか、その映画を作ったプロダクションで働いていた。しかも、服飾専門学校時代に描いたデザイン画が採用され、ヒロインの衣装になっている。ただし、衣装デザイン協力としてエンドロールにクレジットされたのは、麻希に課題を提出させたケイティだった。それから20年経って、再びケイティにデザインを横取りされたが、過去も含めて、しらばっくれられている。

……ということのどこからどこまでを依頼人は知っていて、どういうつもりで『幸せのしっぽ』のタイトルを出したのだろう。やはりケイティの関係者だったのではという疑いが頭をかすめる。

麻希の答えを待たずに、依頼人が続けた。

「私、高校生のときに観たんです。makimakiさんのひまわりバッグを見たとき、あの映画を思い出して。DVDのパッケージにもなってるんですけど、ヒロインのしっぽがスカートから飛び出したまわりに、お花が咲いていて。しっぽを隠すんじゃなくて、いっそ目立たせて可愛くしちゃうのが、いいなって。それで、ひまわりバッグの人にドレスを預けたら、どんな風になるか、見てみたくなって」

あなたがデザインしたんですよね。ひまわりバッグも、あの映画のヒロインの衣装も。

麻希にはそう聞こえた。

新郎新婦

揃いの紙袋を提げたスーツやドレスの人たちが両開きのドアから続々と出てきて、レストラン前のパティオに溜まっていく。

パーティーが終わったらしい。

良かったら見に来てくださいと案内をもらっていたが、顔を出すのは遠慮して、4車線の道路を隔てた向かい側の銀杏の木の下でモリゾウと出待ちをしていた。

最後に新郎新婦が出てきた。遠目にもクローバーの緑が白いドレスに映えている。

先に出ていた列席者たちが一斉にカメラを向ける。新郎新婦がおどけたポーズを取り、笑いが弾ける。ドレスの裾が揺れ、クローバーの野原がうねる。

「人が着ると全然違うな」とモリゾウが言い、
「トルソーは動かないもんね」と麻希は応じる。

モリゾーが拾ってきたトルソーに着せていたドレスが、命を吹き込まれたように見える。道行く人たちが目を留め、それから花嫁に目をやり、2度驚く。「見て!」「すっごくきれい!」という感嘆の声が聞こえてきそうだ。

「ゲネプロと本番の違いだなー。すごいよマキマキ。みんな見てる」

隣でモリゾウが興奮している。この人は舞台の人だ。生の反応が何よりのごちそうなのだ。

「うわ、見てる見てる。すっげー見てる。作者、ここにいま……」

モリゾウの声が上ずり、語尾が消えた。長い指が目尻を押さえるのを見て、麻希の目にも涙がせり上がる。

ケイティの仕打ちに本人以上に心を痛め、底を蹴るきっかけを願っていたのは、モリゾウだ。もしかしたら、拾って来たというあのトルソーは、わざわざ手に入れ、運んで来たものだったのかもしれない。たまたまにしてはタイミングが良すぎる。

白いドレスに芽吹いたクローバー。

過去は消せないが、上書きはできる。呪いを祝いに変えることはできる。今、その瞬間に立ち会っている。

 

次の物語、連載小説『漂うわたし』第120回 多賀麻希(40)「20年ぶりに咲いたドレス」へ。

saita編集部noteで『漂うわたし』制作秘話を公開中♪

編集部note:https://note.com/saita_media
みなさまからの「フォロー」「スキ」お待ちしています!

著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

気になるタグをチェック!

saitaとは

連載記事

saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

人気記事ランキング

ランキングをもっと見る