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連載小説『漂うわたし』第169回 佐藤千佳子(57)「太陽の引き立て役」

カルチャー

2024.10.05

【前回までのあらすじ】スーパーマルフルでの立ち話から持ち上がったハーブマルシェ企画は、千佳子の詰めが甘く、棚上げに。千佳子に誘われたものの返事を迷っていたアイタス食品の直美は、夫と娘と再訪したパンケーキ屋kirikabuで千佳子親子と再会する。千佳子から白杖のカズサさんを紹介された麻希は、自宅で一緒に布を選びながらバッグの希望を聞く。近づいたり離れたりしながら進む3人のわたしの物語、57巡目。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし

第169回 佐藤千佳子(57)太陽の引き立て役

「ハーブマルシェはどうなったの?」

夕食のテーブルで夫に聞かれた。

気にかけてくれていたんだと千佳子は知ると同時にそう口にした。

「何も言わなくなったから」と夫が言い、
「ママってわかりやすいよね。夢中になってるときはその話ばっかりするけど、ピタッと止まるから」と文香が続けた。

夫にマルシェことは報告していなかったが、文香と話しているのを聞いていたのだろう。あんなに張り切っていたのに何かあったのかと心配されているらしい。

このところ登板の多い「包みきらない餃子」の大皿を囲んでいる。平たく切った絹揚げとエリンギを大葉と薄切り豚肉でまとめ、皮を巻きつけただけの時短料理だ。果汁多めのポン酢がよく合う。

皮を閉じなくても餃子と呼べるのだろうか。口が開いているなら焼売だろうか。焼売と餃子の境目がわからない。

「進んでないけど、消えてはないよ」

お代わりの餃子にのばした箸を引っ込め、ちょっと強がった。止まってるだけ。休んでるだけ。パン種だって、焼く前に発酵させて膨らませるではないか。

種。そうだ、種だ。

「急いで進めないほうがいいかなって。今は種を蒔いてる」
「『またね』の種だね」

千佳子が言った「種」を拾って、文香が「またね」につなげた。

「またねの種って何?」

夫に聞かれ、文香とkirikabuに行ったときの話をする。

パンケーキの注文を終えたところにドアが開き、アイタス食品の原口直美さんとダンナさんと2歳の優亜ちゃんが入ってきた。テーブルに加わってもらい、韻を踏むように「良かったね」「やったね」とたねたね言い合ううちにどんどん楽しくなり、別れ際に「またね」と手を振り合った。

「またね」は再会の種を蒔く言葉だとそのときは思ったが、原口さんとはあれっきり会っていないし、マルシェの話も進んでいない。手のひらから飛び立ち、芽吹く種たち

マルシェについては内容を練り直してからあらためて相談させてくださいと伝えたとき、原口さんはホッとした表情を浮かべた。誰が見ても、あのまま実行するのは危なっかしい企画だったのだろう。

会場をマルフルに限定せず、kirikabuや他の場所にも広げればいい。それぞれの場所で、それぞれの形でマルシェに出展してもらう。そうすれば、詰めの甘さを指摘された食中毒問題も解消される。そう思いついて楽になったのだが、会場を分散させるとなると、それはそれでまとめる手間がかかる。

やっぱりマルフルに集約したほうが手っ取り早いのではと思い直し、誰かに相談しなきゃと思っているうちに夏が終わり、9月も過ぎてしまった。

「ママには荷が重いかも」

弱音を吐くと同時に、夏の終わりに招かれたパーティーが蘇る。

マイさんのYouTubeチャンネルの登録者数が1万人を超えたことをお祝いするパーティーだった。「おめかししてきてね」とマイさんに言われたので、手持ちでいちばん華のあるワンピースを引っ張り出し、マイさんの行きつけというサロンでヘアメイクをお願いし、久しぶりにネイルも塗った。千佳子としては精一杯のおしゃれをして向かったのだが、会場に到着すると結婚披露宴のような華やぎで、自己ベストは一瞬で埋没した。

「おめかし」のレベルが千佳子の想定より高かったのだ。ブローはお願いしたが、アップにしてもらえば良かった。よそ行きの靴を履いてきたが、ハイヒールにすれば良かった。アイシャドウもネイルも、もっと明るい色にすれば良かった。

気後れしながら会場を眺め渡すと、知っている顔もなかった。集まったのはマイさんのハーブ講座の教え子さんとマイさんのハーブ本の読者さんが中心で、そのどちらでもない千佳子はいろんな意味で場違いだった。

「マイさんとはどういうご関係なんですか?」と聞かれて返事に困った。「パート先のスーパーがマイさんの農園のハーブを扱っています」では弱い。

まごまごしていると、「みなさーん」とマイさんが近づいて、千佳子の背中にそっと手を添えた。

太陽みたいなマイさんと月みたいな千佳子

え? わたし!?

「ご紹介します。スーパーのスーパー店員、佐藤千佳子さんです!」

よく通るハツラツとしたマイさんの声に、会場の注目が集まった。

「前に講座でお話ししたパセリの花束、覚えてますか? あの発案者さんです。パセリにリボンを巻いて花束にする、ちょっとしたことで日常をアップグレードできるんです。千佳子さんのおかげでスーパーマルフルのハーブの売り上げがグンと上がって、うちの農園のハーブでコーナーを作っていただいています!」

マイさんが自ら両手を打ち、会場に拍手が広がった。

「千佳子さんの発案で、マルフルさんでハーブマルシェをやることになりました!みなさんにもごき協力いただくことがあるかもしれません。そのときはよろしくお願いします!」

立候補演説のようなマイさんの力強い言葉に、さっきより大きな拍手が起こった。千佳子のまわりにいた人たちだけでなく会場に集まった数十人の目と耳が向けられている。マイさんの隣のオマケではなく、注目のピントが千佳子に合っている。マイさんが認めたスーパーのスーパー店員を見る目だ。

信号の色が変わるように無関心が好奇心に変わり、パセリが主役になった。こそばゆさと晴れがましさが混ざり、「ごめんなさい」と意味もなく謝ってしまう。

ごめんなさい。わたしなんてただのパートで、パセリの花束は野間さんが面白がって後押ししてくれたからできたことだし、売り上げが上がったのは瞬間風速のようなものだし、マイさんの農園の扱いが増えたのはマイさんの営業努力によるものだし、マルシェもマイさんがいたから強気になって言い出しだだけで、わたしの詰めが甘くて棚上げになってしまって、ごめんなさい。なのにこんな晴れがましい席に呼んでもらって、みなさんに紹介までしてもらって、いっぱい花を持たせてもらってごめんなさい。
麻希が描いたマルシェのイメージイラスト。ハーブグッズを並べた会場に緑のエプロン姿のマイさんが描かれている。

マイさんが紹介してくれたおかげでハーブ講座の教え子さんやハーブ本の読者さんが入れ替わり立ち替わり話しかけてくれ、パーティーでの居場所ができ、楽しい時間になった。みなさんに「マルシェ楽しみにしてます」と言われると、実現が約束されているかのように思えた。

けれど、一人になった帰り道、魔法が解けたように万能感は無力感に置き換わった。

マイさんとならできるかもと思った。マイさんと何か一緒にやりたかった。プレゼン資料を作るまではアドバイスをもらったが、忙しそうだなと遠慮してしまい、それ以降は相談に乗ってもらっていない。わたし抜きで進めていたら、とっくにハーブマルシェは実現していたのではないか。肩を並べようとして、足を引っ張ってしまっているのではないか。パーティーで皆の中心にいるマイさんを見て思った。この人は引っ張る人で、わたしはついて行く人だ。太陽のおこぼれがないと輝けない。月の光じゃハーブもマルシェも育たない。

いけない、いけない。せっかくパリッと焼けた餃子が湿っぽくなってしまう。

「やっぱり月は月だよね」

明るく言って、お代わりの餃子を取り、箸をのばした。

「何それ? ママ、ナゾいんだけど」
「ママは太陽の引き立て役が似合うってこと」

餃子をポン酢にチョンとつける。主役と引き立て役。

「引き立て役じゃなくて、引き出し役じゃないかな?」

黙って聞いていた夫がボソッと言った。

線

次回10月12日に佐藤千佳子(58)を公開予定です。

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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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