第70回 伊澤直美(24) めぐるいのちを母乳にのせて
「今、急いで卒乳すること、ないんじゃない? まだ3か月なんだし」
スマホをスピーカーホンにして優亜(ゆあ)に授乳しながら、直美はイザオの姉の亜子姉さんに何度目かの母乳相談をしている。
出産したばかりの頃は、出が悪いことを相談し、「最初はそんなもんよ」と慰めてもらった。
イザオ母に「母乳で育てないと母性が育たない」となじられ、「仕事に栄養取られたんじゃない?」でトドメを刺されたときは泣きつき、「ミルクのほうが母乳より大変でえらい」と励ましてもらった。
優亜を保育園に預けるようになると、搾乳の相談をすることになった。
「出なくても困るし、出過ぎても困る。受注生産ってわけにいかないよね。自然が相手だから」
5月中は在宅勤務なので搾れる環境にあるのだが、会社に出るようになると「張りっぱなし」になってしまう。乳腺炎も心配だし、どうしようかというのが今回の相談で、亜子姉さんの返事は予想通り「そのときになってから考えたら?」だった。その言葉を聞きたくて、連絡したのだ。
亜子姉さんの育児は自称「出たとこ勝負、成り行きまかせ」。優亜よりも半年早くふたり目を産んでいるが、卒乳の時期はとくに決めていないという。
「出る限りは続けようかなって。パチンコスタイル? わんこそばスタイルのほうがいいか」
亜子姉さんは、フリーのイラストレーターとして、少しずつ仕事が舞い込んでいるらしい。自宅を仕事場にしていて、受注も納品もメールでできるので、保育園には預けていない。上の子の幸太が小学校に行っている間を仕事にあてている。
「直美ちゃん、粉ミルク、飲んだことある?」
好奇心旺盛な亜子姉さんは、なんでも試したがる。粉ミルクを飲んでいたって驚かない。
「すっごくおいしいの、ミルク。母乳負けたなって思った」
「そっか。じゃあミルク一本にしちゃってもいいのかな」
「それがね、母乳のほうがもっとおいしかったの」
「亜子姉さん、母乳も飲んだことあるんですか?」
「そう。飲み比べしたの。そしたら、母乳って、すっごく優しくてまろやかで、飲んだ瞬間、ふわぁってなっちゃった」
粉ミルクには驚かなかったが、母乳と飲み比べしていたとは。
「母乳でプリンを作るっていうテレビの企画あったじゃない? 母乳プリンなんてイロモノだと思ってたけど、結構いけるかも」
母乳プリン。亜子姉さんなら、作ってしまいそうだ。
「亜子姉さんって、ひょっとして、胎盤食べました?」
「食べてない。味見はしたけどね」
やっぱり。
「どうでした?」
「あんまり味しなかった」
「刺身醤油つけると、いけるらしいです」
「直美ちゃん、それ早く言ってよ」
「3人目産んだときのお楽しみに」と何気なく返して、自分だって無意識にこういうこと言っちゃってるなと自戒する。なんで母乳じゃないのと理由を知りたがり、こんないいものがあるよと教えたがる良かれ教の人たちだって、深い意味はなく、思いついたままを口にしているのだろう。
ただ、同じ言葉でも受け止める側が弱っているとき、追い詰められているときは、切れ味が鋭くなってしまうのだ。
もし、今、亜子姉さんが「3人目どうしよう」と悩んでいたら、「3人目産んだときのお楽しみに」はプレッシャーをかける言葉になってしまう。
玄関のチャイムで亜子姉さんとの通話を切り上げた。受け取ったダンボールの伝票のあて名は直美になっていたが、送り主の農園には覚えがなかった。野菜なんて注文したっけと備考欄に目をやると、知っている名前が記されていた。
「イチカ」
思わず口にした。
一昨年の春に亡くなり、直接呼びかけることが叶わなくなった幼なじみのイチカ。彼女のいとこさんが送り主だった。
箱を開けると、野菜の力強い色が目に飛び込んだ。緩衝材代わりにぎっしり詰められた葉物野菜の葉っぱも色とりどりだ。
野菜の上に置かれた封筒に手書きの手紙が納められ、「イチカの両親からのお祝いです」と書かれていた。
娘が生まれたことを自分の母にはまだ報告できていないが、イチカのお母さんには報告した。子どもに着せるものではなく、母親の口に入るものを出産祝いに選んでくれた。
幼なじみのお母さんと母親同士になったのだなと思うと同時に、イチカのお母さんは娘をうしない、自分は母と疎遠になり、そのふたりが、欠けたピースを埋め合うようにつながっている不思議を思った。
イチカのいとこさんは研修を終え、この春に就農したばかりで、手探りで有機野菜の全国発送を始めたところだという。
「野菜が穫れるようになって思うのは、イチカに食べて欲しかったということ。私が百姓をやると言ったら面白がってくれていました。直美さんに食べてもらうようイチカがつなげてくれたような気がしています」
野菜の出産祝いは直美だけでなく、イチカのいとこさんへのエールにもなっている。
母乳神話とはほどほどに付き合っているが、自分が食べたものが母乳になり、子どもに注がれることは意識している。無農薬、無化学肥料の野菜はありがたい。
あぶって味噌をつけるだけでご馳走になる万願寺とうがらし。長い葉っぱの先までおいしく食べられる大根。ラディッシュは蒸してテンメンジャンをつけ、チンゲン菜はにんにくとオイスターソースで炒めた。どれも野菜の味がしっかりして、噛み締めると、自然をいただいている気がする。
はるばるついて来た赤ちゃん青虫をベランダに放し、空を見上げてイチカを想った。
イチカとは家が隣同士で、同じ小学校と中学校に通った。短距離も長距離も学年で一番速かった。生命力の塊みたいな子だったのに、この世から去るのも駆け足だった。
あまりに突然のことだったし、イチカが日本を離れて何年も経っていた。時間も物理的な距離も遠いところで途絶えた幼なじみ。いなくなったという感覚が持てないままだったが、イチカに食べて欲しかったという野菜が届き、その匂いや重みを感じ、口にしていると、イチカはもういないのだなと思う。ぼんやりしていた不在の輪郭がはっきりしてくる。
イチカが食べられなかった分も、わたしが食べよう。
イチカに会わせられなかった娘に栄養を注ぎ込もう。
いのちはめぐる。母乳は、めぐるいのちを運ぶ乗りものだ。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第71回 多賀麻希(23)「それからのルーズソックスのそれから」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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