第187回 佐藤千佳子(63)飛んで行ったと思えばいい
娘の文香が卒業した小学校の本読み隊に千佳子が再び関わることになったのは、当時活動を共にしていたサツキさんと再会し、誘われたからだった。
2月の本読み隊に「受験しなかった子たちだけズルい」と難癖をつけた6年生の親は子どもの卒業とともに卒業したけれど、「謝っていただく必要はありません」と本読み隊をかばってくれた校長先生も異動してしまった。
春は巡りの季節だ。人が動き、人間関係の地形が変わる。
本読み隊の引き継ぎができておらず、読み聞かせは5月から行うことになった。せっかく地ならしして活動再開にこぎつけたのに、サツキさんは、また一から新しい校長先生に説明しなくてはならない。大変だなと思うが、千佳子の出る幕ではない。春になっても人気が衰えないスーパーマルフルの焼きいもを差し入れするくらいしか思いつかない。けれど、
焼きいもを小学校に持ち込んでいいのかな。
そこで止まってしまう千佳子である。
4月の終わり、図書室の飾り替えをするために小学校へ向かった。授業で図書室を使わない時間をサツキさんが学校側に確認してくれていた。在校生の親だった頃はマイ上履きを持ち歩いていたが、「来客用」と印字されたえんじ色のスリッパでペタペタと音を立てながら階段を上る。
歴代の本読み隊が色画用紙や折り紙を使って作った装飾を月ごとの封筒に入れ、月の頭に飾り替えをする。その伝統も本読み隊の活動休止で途絶えていた。活動を再開した12月に装飾も再開し、緑の色画用紙で作ったクリスマスツリーや金色の折り紙で作った星のオブジェを飾り、窓にはサンタクロースや星を貼りつけた。
4月の飾りつけは3月の末に済ませていた。ピンクの画用紙を切り抜いた桜の花びらと折り紙で折ったチューリップ。それからランドセル。
文香が入学した頃、ランドセルの色のバリエーションはすでに何十色とあり、「男の子は黒、女の子は赤」の常識が崩れていたが、図書室の装飾のランドセルは赤と黒だった。
「この組み合わせ、最近見ないよね」
「相当前に作ったのかも」
などとメンバーと話しながら、紙テープで書いた「入学おめでとう」の左右に赤と黒のランドセルを貼った。
文香が6年生になった春もランドセルは赤と黒のままだった。卒業を前に一斉休校が始まり、本読み隊の活動も休止したので、再開したときも赤と黒のままだった。
五月さんとどちらからともなく「赤と黒?」とツッコミを入れ、まず、サツキさんが水色の色画用紙を切った。空の色。千佳子はグリーン。パセリの色。色とりどりのランドセルができた。
「赤と黒、どうします?」
「赤と黒もいて、いいんじゃない?」
サツキさんがそう言ったので、赤と黒のランドセルも残した。ランドセルを「ある」「ない」ではなく「いる」「いない」と呼ぶ。それが似合う。
そういえば、赤と黒はサツキさんのストールの色だ。
図書室のドアを開けると、ジョキジョキと紙を切るハサミの音がした。約束した時間より先に着いた千佳子より早く着いていたサツキさんが作業を始めている。
近づくと、色とりどりの画用紙が切られていた。
「何だと思う?」と聞かれ、
「鯉のぼりのウロコ、ですか」と答えると、
「当たり」とサツキさんは声を弾ませた。
4月のランドセルに続いて、新作を作っているらしい。
「鯉のぼりたちが、いなくなっちゃったの」
ウロコを切りながらサツキさんが言う。
「いなくなったって?」
「よろいかぶとも、5月だけじゃないの。みーんな」
そう言って、サツキさんは奥の棚に目をやった。月ごとの装飾をしまってある棚だ。
「みんなって?」
12か月分の装飾が消えたということだろうか。いや、11か月分だ。飾ったままの4月の装飾は残っている。
「別な場所に移動したとかじゃなくて?」
「司書さんが捨てちゃったんだって」
「あの司書さんが?」
「ううん。新しい人」
司書さんにも異動があったのだ。
前年度の司書さんは、文香が卒業した後に着任したらしく、千佳子は12月から2月の短い間の何度か図書室で会っただけだが、千佳子よりずっと若いけれど熱心で、勤務時間外に時間を割いて、おすすめの絵本に愛のあるコメントをつけた選書資料を用意してくれた。
その司書さんが去り、新しい人が来て、装飾を捨ててしまった。
「ひどい。何も聞かずに」
千佳子の口から思わず漏れたのは、非難の言葉だった。
「でもね、誰に聞いていいかわからないし。もし、連絡があって、これどうしますって聞かれても、私たちに決める権限はないのよね」
確かにサツキさんの言う通りだ。千佳子とサツキさんはたまたま活動の再開に関わっているけれど、歴代本読み隊の代表というわけではない。
だけど。
6年間の活動で、毎月、今年もこの季節が巡って来たなと思いながら飾りつけたあれこれ。そのとき交わした何気ない会話。一つ一つはふんわりとしか覚えていないけれど、月ごとの装飾は全部聞いていた。千佳子が活動した6年間も、その前の何年、何十年も。赤と黒のランドセルが当たり前だったくらい前の頃から。
それを捨ててしまうなんて。
4月の飾りつけを見ているのに。
それとも、見ているから?
まだ名前も顔も知らない司書さんのことがすでに嫌いになる。けれど、自分よりも怒っていいはずの五月が涼しい顔をしていると、千佳子はそれ以上怒れない。
「思い入れや遠慮があると、なかなか世代交代できないから、何も知らない人がきっかけを作ってくれたのは、良かったかも」
「私、サツキさんみたいに心が広くないです」
「飛んで行ったと思えば、いいんじゃない?」
色とりどりのウロコを並べてレイアウトを決めながら、佐藤さんが明るい声で言う。
「佐藤さんも、やる?」
促されて、千佳子はサツキさんの向かいに腰を下ろす。でも、鯉のぼりを作る気分になれない。気持ちが萎んでいる。
「私、前に本読み隊のクレーマームだったって言ったでしょ?」
踏み込んで聞いていいのか迷っていたことをサツキさんが自分から話しだした。
「読み聞かせなんて、家でやればいいし、わざわざ読み手を募って学校でやることじゃないって。だけど、娘が6年生になってから授業を受けられなくなってしまって」
そうだったんですかと応じ、何があったんだろうと思いを巡らせる。
「教室まで行けなくても、図書室で過ごしたらいいんじゃないと言ってくれたのは、本読み隊の人たち」
結局、サツキさんの娘さんは、卒業まで図書室で過ごしたという。
「図書室があったから、娘は学校には来続けられた。だから、私にとって、図書室は飛び立つ場所」
「すみません」
「なんで佐藤さんが謝るの?」
「何も知らなくて」
娘さんの巣立ちと捨てられた装飾とは事情が違うと思いつつ、消えた装飾と引き換えに娘さんの話を聞かせてもらえた。
「図書室は巣立つ場所」というサツキさんの言葉が千佳子のまとまらない感情に栞を挟む。そのページから新芽が飛び立つ。力不足でまとめきれず、企画を通せなかったハーブマルシェのことを思い出す。会場をスーパーマルフルに限定するのではなく、kirikabuや他の場所に広げたらどうだろう。種を蒔くように。そこまで思いついて、壁が取り払われたような気がした。熟成して、迎えた春。
本と種。
つなげられると思ったのは、サツキさんの言葉のせいだろうか。手のひらから飛び立ち、芽吹く種のイメージが広がる。窓を開けて新しい風を呼び込むように、立ち止まっていたものが動き出し、巡りだす。
サツキさんが並べた色とりどりのウロコを見る。鯉のぼりを完成させたら空色の画用紙に貼りつけて泳がせよう。
次回5月3日に佐藤千佳子(64)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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