第189回 伊澤直美(63)四つ葉のクローバーを探して
一体自分は何を見せられているのだろうと直美は思う。横浜まで来て、初めてお邪魔する家のLDKで。
風をはらんで膨らんだ白いレースのカーテンの向こうに広がる芝生の庭で娘の優亜と姪の結衣が遊んでいる。結衣の母親であり夫の姉である亜子姉さんと直美が並んでテーブルに着いている正面が庭で、視界にずっと優亜と結衣が入っている。
新緑の緑も子どもたちも、やけに眩しい。眩しすぎる。
「いくつですか?」
クッキーを並べた平皿を挟んだ向かい側から、この家の住人であるmakimakiさんが聞く。
「半年違いなんです。うちが3歳9か月だから、ユアは3歳3か月。だよね?」
亜子姉さんに聞かれ、直美はうなずく。
「0か月と6か月のときは大違いだったけど、大きくなると、半年の差がどんどん縮まって。保育園でいうと、どっちも2歳児クラスの同級生だしね」
亜子姉さんは初対面とは思えない距離感でmakimakiさんと話している。直美は亜子姉さんの友だちの家に連れて来られたような落ち着きのなさを覚える。
もめないことはわかっていた。だけど、多少はぎこちなくなるのではと予想していた。なのに。
和やかだ。和やかすぎる。
亜子姉さんが手土産に持ってきた地元のお店のクッキーをお茶請けにして、紅茶なんか飲んで。
makimakiさんに会うことになったのは、直美あてに連絡があったからだ。同期入社で商品開発室の同僚のタヌキがミスキャンパス時代の同期の結婚披露宴に持って行ったひまわりバッグが物議を醸している件について、購入者である直美を気遣う文面とともに返品の意向があれば応じたいという申し出があった。直美は所有者ではないが、バッグを貸した責任はある。迷惑をかけたのはむしろこちら側だ。
こんなメールをもらったんだけどとタヌキに伝えと、「私、もう会ってきた」と言われ、思わず「へ?」と声が出た。makimakiさんはタヌキとも連絡を取っていたのか。
「なんで言ってくれなかったの?」
「迷惑かけたのは私だし」
出し抜かれたような、置いて行かれたようなモヤモヤに既視感を覚えた。タヌキが自分のウェディングドレスのリフォームをmakimakiさんに頼んだと聞いたときも、そうだった。背伸びしても届かない頭の上でボールが行き来しているようで面白くない。
亜子姉さんにはmakimakiさんからのメールを転送した。
「こういうのは会って話したほうがいいよ。直美ちゃん、一緒に会いに行かない?」
亜子姉さんの返事には屈託がなく、その軽さとおめでたさにも直美は軽い目眩を覚えた。亜子姉さんはひまわりバッグを持ったタヌキの写真が拡散されたことについても、「私が持って出かけても、こうはならないからね」と好意的にとらえていた。
「でも、makimakiさんは迷惑しているかも」
「作品が知られるのは、作家としては、うれしいことだよ」
亜子姉さんは、バッグの持ち主ではなく、クリエイター同士の立場でmakimakiさんを見ているのだった。
どこへでもうかがいますと言われていたのだが、直美は待ち合わせ場所にkirikabuを指定した。以前kirikabuでパンケーキを食べながら佐藤千佳子さんにハーブマルシェのプレゼンをされたとき、企画書のイラストを描いたのがmakimakiさんで、この近くに引っ越してきたと聞いていたことを思い出したのだ。ところが、店の前には長い列が伸びており、「うちにいらっしゃいますか」とmakimakiさんに提案されたのだった。
kirikabuで会うのがいいと直美が思ったのは、気まずくなってもパンケーキが場を和ませてくれるのではという期待があったからだが、移動の間に亜子姉さんはmakimakiさんとすっかり打ち解けてしまっていた。
自分ひとりがヤキモキして気を遣って、なんだかなーと直美は初めて歩く住宅街の道にため息を落とした。
亜子姉さんは、仕事で描いたひまわりの絵が6万円で売れ、そのお金でひまわりバッグを買い求めた。同じモチーフと同じ値段に運命的なものを感じたのだ。だが、高額な買い物を家族に知られたくないという事情から、直美が亜子姉さんの代理でバッグを購入し、保管することになった。
ショップの商品ページでは一点ものという説明だったが、よく似たデザインのバッグをインフルエンサーのケイティが持っている姿を直美は偶然ネットニュースで目に留めた。
《こちらの記事に出ているバッグは、先日購入させていただいたものでしょうか》とショップに問い合わせると、
《ご購入いただいたバッグは一点もので、同じものはお作りしていません》と返信があった。
ショップの言い分が正しいにしろ、同じようなバッグがもう一つ存在しているのは事実だった。
その後、劣化版のようなデザインのものがケイティのプロデュースで売り出された。再び問い合わせることはしなかったが、ケイティのインスタに寄せられるコメントを拾い、makimakimorizoのサイトに変化がないか、見て回った。気になると、はっきりさせないと気が済まない。軽く受け流すということができない性格だ。
《ケイティさんがご自身のブランドで出されているひまわりの形のバッグが、makimakimorizoさんという作家さんの一点もののバッグによく似ています。偶然でしょうか》
思い切って、匿名掲示板にコメントを打ち込んだ。makimakimorizoのショップのURLを添えて。
謎の使命感に駆り立てられていた。けれど、ひまわりバッグを直美に預けっぱなしの亜子姉さんにとって、バッグは購入が成立した時点で役割を終えていたのだった。逆に直美は亜子姉さんの代理で購入を頼まれたところから関わりが始まった。亜子姉さんにとっては過去だが、直美にとっては現在進行形なのだった。
直美の書き込みは、ほぼ無視された。だが、何日か経ってコメントが寄せられた。
《もしかして、質問者さんって、ショップの方ですか?》
そのコメントで目が覚めた。パチンと指を鳴らされて催眠術が解けたみたいに。
作者でもないのに何やってんだろ。購入者ですらないのに。どちらのデザインがオリジナルなのか、知ったところでどうなるわけでもないのに。
優亜が1歳になった頃だった。子どもの一日の変化のほうがずっと大きいのに、日に日に変化するわが子から目が離せないときなのに、何かに取り憑かれたようにひまわりバッグを追いかけていた。
優亜が3歳になったということは、あれから2年経ったことになる。
「ママー、よつば、あったよー」
庭から優亜が声を張り上げる。
掲げた手に握られているのは、四つ葉のクローバーらしい。直美からは三つ葉だか四つ葉だがわからないが、「すごいねー」と直美も声を張って応じる。
芝生に混じってクローバーが植っているらしい。ところどころ白い花が見える。シロツメクサで冠を作った幼い頃の記憶が蘇る。
シロツメクサとクローバーって同じだっけ。
そんなことを思いながら、裾一面にクローバーの刺繍を施したタヌキのウェディングドレスが頭をよぎる。
折り合いの悪い母親がかつて着ていたドレスを受け継ぐことになったタヌキは、そのまま着たくないという理由でmakimakiさんにリフォームを依頼した。その答えが白を覆い尽くす勢いで広がるクローバーだった。
タヌキがmakimakiさんを知ったのは、直美が見せたひまわりバッグの商品ページだった。あのとき直美は「このバッグが6万円ってどう思う?」と聞いたのだった。
ひまわりからクローバーにつながり、またひまわりに返ってきた、とクローバーの庭を見ながら直美は思う。
今回の炎上の後、タヌキがmakimakiさんに会って、何を話したのかは聞いていない。直美が知っているのは、《こちらケイティがプロデュースしたバッグです》という燃料投下の書き込みをしたのがタヌキだったということだ。
わざわざ騒ぎを大きくして、何がしたかったのか。
直美にはわかる気がする。質問のし方は違うが、自分の欲しい真実を探り当てたかったのだ。かつてのわたしみたいに。無数の三つ葉に埋もれた四つ葉のクローバーを探すみたいに。
それが四つ葉であっても、三つ葉であっても、探していたものを自分で見つけて、「あったよー!」と誇らしげに掲げる瞬間が欲しかったのだろう。
次回5月24日に伊澤直美(64)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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