第199回 佐藤千佳子(67) わたしの知らないところで
アイスをのせた焼きいもをテーブルに運ぼうとしたところで動きが止まった。
素直に食べて良いものか。
心の中でつぶやいたつもりだったが、声に出た。家の中には千佳子だけだ。夫はまだ仕事から戻っていない。文香も高校から帰って来ない。
焼きいもの熱が底から手に伝わるうつわをキッチンカウンターに置くと、立ったまま見下ろす格好になった。6時過ぎにパートから帰ってすぐエアコンをつけたが、昼間に溜め込んだ熱気が室内に居座っている。
パート先のスーパーマルフルで焼きいもが売れている。夏なのに冬並みに売れている。補充が追いつかないほど売れている。
だから、今、千佳子の前にある焼きいもは売れ残りではない。パートの帰りに買ってきたものだ。バニラアイスと一緒に。
焼きいもとアイスとのあわせ売りがヒットしている。この組み合わせで買っていく人が日に日に増え、今日は3人に1人くらいの割合で出現した。感覚的には「みんな」だ。何度もレジを通しているうちに千佳子の頭の中で焼きいもとアイスが合体し、まんまと買ってしまった。
夏の焼きいものヒットに千佳子は貢献していないが、千佳子がよく知っている人が関わっている。
夫の母、美枝子だ。
義母から聞いたのではない。以前うちで働いていた人の提案らしいと他のパートさんから聞いた。それが、まさかの義母だった。千佳子の知らないところで話が進み、夏の焼きいもが売れ出した。
室内はなかなか冷えない。アイスをおいしく感じるには十分な暑さだが、アイスを放置しておくのはよろしくない温度だ。
早く食べたら?
つまらない意地張ってないでさ。
焼きいもの熱で溶け始めたアイスに急かされる。
「意地なんか」
千佳子は目の前のアイスのせ焼きいもに反論する。
焼きいもも、その上にスクーパーでのせたアイスも大きすぎる。一人では持て余してしまう。
千佳子は焼きいもとアイスを持て余している。そこにまつわる事情を持て余している。
そもそも冬の焼きいもを売れ筋商品に押し上げたのが義母だった。
「一週間は日曜日から始まるか、月曜日から始まるか」をめぐって義父とケンカし、家を飛び出した3年前の年の暮れのことだ。
最初は息子一家が暮らすこの家に転がり込んだ。義父母の援助がなければ夫の薄給で買える家ではなかったから、どうぞと言うしかなかったが、それまでは訪問する際には前もって連絡をくれていたのに、突然同居が始まってしまった。
義母が来たことで千佳子の負担は特にふえなかった。むしろ千佳子の行き届かないところをさりげなく補ってもらった。家の中が片づき、整えられていった。夫も文香も喜んでいたが千佳子は追い詰められた。自分の家なのに自分の居場所が削られていくようだった。文句のつけようがない義母にケチをつけてしまうことが心苦しく、結局は気を遣ってしまっていた。
見かねたパート仲間の提案で、野間さんの一人暮らしの家に泊まりに行ってもらった。束の間の息抜きをさせてもらうつもりだったが、野間さんと義母が「美枝子ちゃん」「喜和子ちゃん」と呼び合う仲になり、意気投合した中高年のふたり暮らしが始まった。
野間さんに助けられたが、余計なオマケがついてきた。
千佳子が急遽パートを休むことになった日に野間さんは、よりによって義母を助っ人として連れて行った。
その日から義母がパート仲間となった。
あっという間に仕事を覚え、余裕ができた義母は、新人のパートとは思えない行動に出た。「ほくほく ほくほく ぼくやきいも」とのどかに歌う焼きいもソングをどこからか見つけてきて、売り場で流すことを店長に提案したのだ。
そして、焼きいもの売り上げが跳ね上がった。
あれから2年半経って、店長も変わっている。義母がどういうルートで進言したのかと不思議に思っていたら、野間さんが噛んでいた。
そのことは野間さんからではなく、義母から聞いた。
「焼きいもとアイス、お義母さんがお店に言ってくださったんですか?」
千佳子がそう聞いたときの義母の返事が、「喜和子ちゃんから言ってもらったの」だった。
アムステルダムの野間さんはスーパーマルフルの社外アドバイザーのようなことをしている。本部に戻った以前の店長から頼まれたらしい。オランダやヨーロッパのスーパーの現地レポートなども送って、報酬をもらっているらしい。
それも野間さんからではなく義母から聞いた。
野間さんがまとめた数ページのレポートに千佳子のひと月分のパートの給料が支払われるのだろう。
「なんだかなー」と千佳子はつぶやく。
焼きいもが売れたって、ボーナスが出るわけじゃない。レジで焼きいもを通す回数がふえるだけだ。補充の回数がふえるだけだ。結果、自分が食べたくなって買ってしまうだけだ。アイスとセットで。まんまと乗せられている。店の戦略に。夫の母に。
手紙は野間さんで止まっている。
AIRMAILと書いた封筒に切手を貼ったアムステルダムあての手紙を千佳子が最後に出したのは、冬の終わり。半年も前のことだ。
メッセージは何度か届いたが、写真や動画を送りつけてくるだけで、テキストが添えられていなかった。野間さんと彼氏のツーショットだけ送られて、どう返事して良いのかわからない。前にのろけ話を聞いた人と同じなのか、変わったのかもわからない。千佳子の返信も止まっている。
忙しいのかなと思っていたが、美枝子ちゃんとは連絡を取り合っていたわけか。どうして何も言わないのだろう。野間さんも、義母も。
さつまいもの蔓みたいに、もどかしさがあっちからもこっちからも伸びてくる。
なんだかなー。なんだかなー。
「砂が入っていたんです。ひと粒ふた粒じゃありません。びっしりですよ」
バニラビーンズを知らなくてクレームをつけてきた客に千佳子がつかまったことがあった。
野間さんが助け舟を出したつもりが、余計に話がややこしくなった。店長が間に入ってくれ、別室で丁重に話を聞き、男性は気が済んで帰った。
後日、野間さんの家でバニラビーンズの入ったアイスを一緒に食べたっけ。
野間さんはアイスを見て、あのときのこと思い出さなかった? わたしの顔、思い浮かばなかった?
野間さんあての最後の手紙に焼きいものことを書いた気がする。今年もよく出てます、と。
わたしは焼きいものこと、書いたのに。なんだかなー。
アイスに砂が入っていたと訴えるうちにどんどん声が大きくなったあの男性も、なんだか面白くなかったのだろう。「なんだかなー」のやり場に困っていたのだろう。義母より、野間さんより、あの人を近く感じる。
3年前の年の暮れも、焼きいもを前に「なんだかなー」となった。
義母に出て行かれてしおれているであろう義父と一緒に食べるつもりで2本買って、義父母宅へ自転車を走らせた。だが、義父はしおれてなどいなかった。家の中からにぎやかな笑い声がした。引き返した道で宅配ピザのバイクとすれ違った。心配して損をした。自分だけが損をしている気がした。
近くのベンチで両手に一本ずつ持った焼きいもを交互に頭からかじっていたら、文香に見つかった。
あのときは文香が焼きいもを半分引き取ってくれたから一人で抱え込まずに済んだ。なのに、今日は文香が帰ってこない。
誰かに話を聞いて欲しい。五月さんの顔が思い浮かぶが、五月さんはダメだ。五月さんもダメだ。
夏休みに本読み隊企画の読み聞かせ会が開かれた。千佳子が知ったのは、終わってからだ。小学校の前を通ったとき、「こんなのやってたんだね」と文香が日付の過ぎたポスターに目を留めた。
「どういうこと?」と慌てて五月さんに連絡を取った。
「佐藤さん、お嬢さん受験でしょ? お忙しいと思って」
気を遣ってくれたのはありがたいが、こういう話が進んでいると知らせて欲しかった。
あっちでもこっちでも、わたし抜きで話が進んでいる。わたしがいないほうがうまく回っている。
なんだかなー。なんだかなー。
アイスが溶けていく。
次回9月6日に佐藤千佳子(68)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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