第191回 多賀麻希(63) わたしのものとみんなのもの
「どうしたものか」
バッグを返されて以来、口癖のようになっている呟きを麻希はまた口にする。バッグはダイニングテーブルから見える棚の上、地球儀の隣に置いている。食事をするにしても本を読むにしてもダイニングテーブルで済ます麻希の目の端に、ひまわりバッグがある。
「戻ってきたバッグは小さかった」というのが、再会したひまわりバッグを前にした麻希の感想だった。
「『逃した魚は大きかった』の逆だね」と言うと、
「逆というか裏だね」とモリゾウは言った。
「裏って?」
「反対側から見た真実ってこと。A面とB面」
モリゾウの言うことは相変わらず舞台のセリフっぽい。
麻希の手を離れてから戻ってくるまでの間に、ひまわりバッグは頭の中で大きくなった。服飾専門学校時代のケイティにデザインを盗まれ、開き直られ、傷つけられたデザインと名誉を取り返したいという切望がバッグを太らせ、重くしたのだ。
商品を発送する形で巣立ったバッグは、持ち主の伊澤亜子の手から直接返された。「里帰り」だと伊澤亜子は言ったが、一時的なものではなく、古巣の麻希の手元に返すことを意味するらしい。正確に言えば「出戻り」だろうか。品物は返ってきたが、お金は返していない。返金を伴わない、一方通行の返品。
一点ものとして販売したバッグに模倣品が現れ、数年経っても騒がれ、購入者も迷惑しているだろうと思い、返品の意思があれば応じる旨を連絡した。麻希はデザインを盗まれた被害者ではあるが、自分の作品を守りきれなかった責任はある。危機管理も作者の仕事だ。
購入者の伊澤直美は夫の姉である伊澤亜子の代理で決済したということで、そのふたりと会うことになった。ふたりは女の子をひとりずつ連れて現れた。待ち合わせしたパンケーキ屋が満席で、うちに来てもらうことになった。
女の子ふたりを庭で遊ばせ、大人たちはお茶をした。モリゾウとの暮らしにはない眺めが突如現れた。
何の集まりだっけと見失うどころか、作品のファンの訪問を受けていると錯覚するような時間だった。
ずっとひまわりバッグの作者に会いたかったのだと伊澤亜子は前のめりになって言い、それ以上の熱量で自分のことを語った。
美大を出て、広告代理店でアートディレクターをしていたが、子どもができて仕事を辞めた。子どもというのは、連れてきた女の子ではなく、その上に男の子がいる。女の子が生まれた後、フリーランスのイラストレーターとして仕事を再開し、ひまわりのイラストが6万円で買い上げられ、同じ金額のひまわりバッグに目を留まった。ひまわりには幼い頃の思い出があり、そこにも縁を感じた……。
伊澤亜子はほとばしるように話してくれたのだが、麻希は庭から聞こえてくる女の子たちのおしゃべりと歌に気を取られ、途中からは針の飛んだレコードのように飛び飛びにしか聞いていなかった。「夕暮れに」「母が」「線路が」といった切れ切れのフレーズをつなげると不穏な話をしていたように思う。
伊澤亜子は、ひまわりバッグそのものよりも、そこに縁を感じて購入を決めた自分のストーリーに思い入れがあるらしく、これまでもバッグは代理で購入した伊澤直美が保管していた。伊澤直美の同僚である田沼深雪にバッグを貸し出すことについても快諾し、むしろ歓迎したという。伊澤亜子にとっては、バッグがどこにあろうと、誰が使おうと、構わないらしい。
「逃したひまわりバッグは大きかった」と執着を募らせていた麻希とは逆だ。
思っていたより小さく軽かったバッグに、自分の器の小ささと軽さを突きつけられたような気がする。
「マキマキさ、最初、ケイティが購入したって思ってなかった?」
モリゾウに言われ、そうだったと思い出す。
ネットニュースでひまわりバッグを持つケイティの手元を見たとき、バッグの全体が写っていなかったとはいえ、麻希はそれが自分の手を離れた一点もののバッグだと思ったのだ。ケイティがデザインを盗んだとは思わなかった。購入者の名前はケイティの本名、田川圭子ではないが、秘書など代理の人が購入した可能性も考えた。
だが、ケイティが持っているひまわりバッグについての問い合わせが購入者の伊澤直美からあり、麻希が作った一点もののひまわりバッグとは別なひまわりバッグが存在することがわかった。
ケイティに会って問いただすと、ひまわりバッグのオリジナルは麻希のひまわりバッグではなく、ひまわりそのものだと開き直られた。おだてに乗せられ、自分の課題そっちのけでケイティの課題に取り組まされた服飾専門学校時代が蘇った。当時はまだ言葉がなかった「やりがい搾取」が今も続いている。こいつからはいくらでも吸い上げていいと思われている、舐められている。怒りと悔しさに体が震えたが、ケイティ相手に何を言っても無駄だという諦めでふたをした。
わたしのデザイン。わたしのデザイン。わたしのデザイン……。
だが、後に熊本に住む甥っ子の悠人が描いたひまわりバッグの絵を見て、考えをあらためた。
ひまわりバッグの現物を見ずに甥っ子が描いた「ひまわりのバッグ」は、驚くほど麻希がデザインしたバッグに似ていた。ひまわりをバッグにしようとしたら、似たようなデザインになるのだ。そして、その思いつき自体は突飛なものではない。
ありふれたアイデアの、ありふれたデザイン。ケイティに盗まれたから自分の中で評価価値が上がったのだ。
今、バッグが手元に戻って、そのことを痛感している。
「わたしのもの」って何なのだろう。
何を必死に守ろうとしていたのだろう。
頭の中で太らせ重くしたひまわりバッグが虚しい。
「どうしたものか」
思っていたより小さくなって返ってきたバッグをどう扱えばいいのだろう。
伊澤亜子に何を返せばいいのだろう。
「いつかmakimakiさんのひまわりを描かせてください。それを良かったら買ってください」
そんなことを彼女は言った。恐縮する麻希が受け取りやすくするために、ゆるい未来の約束をしてくれたのだろう。
「『逃した魚は大きかった』の逆は、『酸っぱい葡萄』じゃないかな」
モリゾウは喩えるのが好きだ。喩えのストックがたくさんあって、さっと取り出せるところにしまってある。
「何だっけ、それ?」
「イソップ童話。キツネがさ、自分が取れなかった葡萄を、あれは酸っぱくておいしくないに決まってるって負け惜しみを言うんだよ。葡萄のほうを貶めて、取れなかった自分の名誉を守る」
「ひまわりバッグなんて、誰にでも思いつける、大したデザインじゃないって言うのは、酸っぱい葡萄?」
「どうだろね」とモリゾウは言い、言葉を探す時間を取った。思考の深いところをゆっくりとかき回し、浮かび上がった言葉をすくい取る。
「『思いつく』と『形にする』は違うと思う」
「どういうこと?」
「オリジナルはひまわりで、似たようなデザインを思いつく人はいるだろうし、実際、悠人の描いたひまわりバッグとマキマキのひまわりバッグは、似ている部分はある。特に、茎を持ち手にするとことか。それでも、マキマキのデザインのまとまりやバランスは唯一無二だよ。『思いつき』を『表現』にまとめ上げるには、技術もセンスもいるし、そこに個性が出る。どんな表現でもそうだと思うけど」
「つまり、どういうこと?」
モリゾウは再び「どうだろね」となり、さっきより短い間を置いて、言った。
「成果物としてのバッグより、デザインにマキマキが宿ってるってことかな」
「つまり?」
「マキマキさ、バッグのデザインを公開する気ない?」
「デザイン画ってこと?」
「っていうより作り方かな」
「型紙ってこと? それを公開したら、どうなるの?」
「マキマキのものが、みんなのものになる」
モリゾウが両手を下から上へはらうように大きく動かす。長い腕の先の長い指が上向きの弧を描く。鳥が羽ばたいて飛び立つような動き。モリゾウが思い描いているものが、麻希にはまだ見えていない。けれど、頭の中に歌が聞こえてきた。庭で四つ葉のクローバーを探しながら女の子ふたりが歌っていた歌。
《あしたは ぼくのおやつ
きみに ぜんぶあげる
ぼくが おやつのゆめを みたら
きみに ぜんぶあげる
きみが おばけのゆめを みたら
ぼくが ぜんぶたべる》
次回6月14日に多賀麻希(64)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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