第158回 佐藤千佳子(54)思い違いがくれたパワー
野菜売り場に立つふたりを遠目に見たときは身長差に目が行ったが、レジ台を挟んで千佳子の目の前に立つパセリ先生とマキマキさんは、きょうだいのようによく似ていた。
骨格や顔立ちというより、まとっている空気が似ている。似通っている。同じ家で育って、同じものを食べて大きくなったような。
それとも、出会ってからの時間がふたりのにおいを近づけたのだろうか。だとしたら、ふたりの間には濃く煮詰められた時間が流れているはずだ。その時間に千佳子は嫉妬する。髪も眉も唇も体つきも男らしさも何もかもが薄い夫との間に積み重ねてきた結婚生活も、やはり薄い。
ふたりは野菜売り場から千佳子のいるレジにまっすぐやって来た。だから、てっきり気づいているものだと思ったのだが、千佳子の顔を見ても特に反応はなかった。たまたま空いているレジを見つけただけらしい。
店員はマスクを着け、キャップをかぶっている。眉と目しか出ていない状態なので、知り合いでも気づかれないことがある。声を聞けば思い出してもらえるかもと、張り気味に「いらっしゃいませ」と言ってみたが、やはり反応はなかった。
もしかしたらこの人ではと確かめるそぶりも、店内を見回して知っている顔を探す様子もない。探されていない。マルフルに買い物に来た目的に含まれていない。
千佳子はがっかりしつつ、買い物カゴの商品のバーコードをレジに通していく。
ピッ。《アーモンド入りチョコレート》。
一瞬ドキッとした自分をバカっと心の中で叱る。生々しい衛生商品なんかが入っていませんようにと先回りして心配してしまい、似たような形状の箱を見て勘違いしてしまった。マスクをしていて良かったと思う。表情の変化を見られずに済むから。
ピッ。《アイタス食品のレンチンシリーズ、肉じゃが、かける4》。
マキマキさんは料理をしないのだろうか。
ピッ。《アイタス食品のレンチンシリーズ、八宝菜、かける4》。
まとめ買いでしたら通販が便利ですよと先日のアイタス食品の試食イベントでもらったオンラインショップを教えてあげたくなる。
ピッ。《アイタス食品のレンチンシリーズ、煮豆、かける4》。
すぐに使えるパック豆とハーブを使ったレシピの紹介と試食のイベントだった。企画した商品開発部の原口直美さんは、ひまわりバッグでmakimakimorizoと出会い、一緒にイベントを企画した田沼さんという女性は、お母さんが着たウェディングドレスの裾にクローバーの刺繍を入れてもらったという。
ピッ。《もめん豆腐3パック》。
つい視線が追いかけてしまう美しい人だった。あの顔で薔薇のドレスなんて着られたら、華やかすぎて胸焼けを起こしてしまう。
ピッ。《ちくわ》。
クローバーのドレスが似合う人は、ドレスの華やかさを借りなくても間に合っている人ということだ。
ピッ。《焼きいも》。
一時期パートに入っていた夫の母、美枝子の提案でCMソングを流すようになってから売れ行きがアップした焼きいもが、汗ばむ季節になってもまだ売れている。
会計金額を告げ、「2番でお願いします」とレジからいちばん近い精算機にカゴを移したタイミングで「佐藤です」とマキマキさんに向かって名乗った。
「佐藤さん?」
マキマキさんは、まだピンと来ていない。
「野間さんと新宿三丁目でお会いした……」
「ああ! 佐藤さん!」
ようやく顔と名前がつながり、マキマキさんは「オーダーのチューリップバッグの」と千佳子をパセリ先生に紹介した。
野間さんが購入したチューリップバッグはオンラインショップで一目惚れした既成品で、千佳子に贈ったものはオーダー品だった。リピート購入で「購入したものとは違う一点もののバッグを」と注文されたことが大きな励みになったのだと新宿三丁目のカフェでマキマキさんはうれしそうに語っていた。
「ああ。あの!」とパセリ先生が短い言葉で驚きを表し、「はじめまして。makimakimorizoの片割れです」と自己紹介した。
あの声だ。いつもスマホで聴いている声がライブで千佳子の鼓膜を震わせる。
はじめましてじゃないですと言おうとしたが、いきなりだと驚かせてしまうかもしれないと思い、飲み込んだ。
「まさか、レジを打ってらっしゃるって思ってなくて」とマキマキさんが言った。
「野間さんと、こちらで一緒に働いていたんです」
その話はしたはずだけどと思いながら千佳子が言うと、
「とてもお世話になった方だとうかがっていたので、店長さんなのかなと思って」
チューリップバッグの値段は聞いていないが、菓子折りやタオルよりゼロはひとつ多いだろう。作家もののバッグをオーダーして贈る相手がパート仲間だとは思わないかもしれない。
そっか。店長だと思われていたから、探されていなかったのか。
さっきまでのいじけた気分が反転し、ほくほくしてしまう自分の単純さに呆れる。やっぱりマスクをしていて良かった。
ちょうど休憩時間になったので、レジを離れ、精算機の前に立つふたりに「お困りのことがありましたら、何でも聞いてくださいね」と声をかけると、「この近くに花屋って、ありますか?」とマキマキさんに聞かれた。
「駅前にあるんですけど、あまり種類がないんですよね」
マキマキさんは「ですよね」と言ってから、「水に挿してたら、根が出るかな」とパセリ先生を見た。
さっき購入したパセリを育てようとしているのだろうか。パセリは水挿しで根が出ることはあるが、土に植えても定着しないかもしれない。そこに、
「うちの農園のパセリ、お買い上げありがとうございます」
ハツラツとした声とともにハーブのマイさんが現れた。パセリ先生がカゴから買い物袋に移したパセリを目ざとく見つけて、お礼を言った。トレードマークの緑のエプロン姿。今日はお客さんではなく仕事で来ているらしい。
この春からハーブの仕入れ先をまとめ、マイさんがアドバイザーとして働いている農園のハーブを一括で扱うようになった。単価では割高だが、売り上げは落ちていない。質に見合った価格が支持されているということだ。
マルフルの本部にアポを取ってプレゼンしたのはマイさんだった。以前、店に打ち合わせに来たマイさんをつかまえて、目の前でプレゼンを再現してもらった。
「ありがたいことにあちこちから引き合いがあるんですが、こちらでお店を選ばせていただいています。マルフルさんはハーブの良さがわかるお客様がついていると判断いたしました。どこでも扱っているわけではないので、うちのハーブを目当てにマルフルに買い物にいらっしゃるお客様もふえます。ハーブがわかるお客様は、違いがわかるお客様です」
上層部は福島の赤べこ人形のように首を縦に振り続けていたという。
マイさんの自信と説得力は自分には真似できないと思っていた。でも、今は、いつもよりちょっと調子に乗っている。店長かもしれないと勘違いされていたおかげで。
「マイさん、うちでハーブの苗って扱えたりしますか?」
「もちろん。でも、前に売り込んだとき、断られちゃってます」
「スペースの関係ですよね? だったら、イベントでやるの、どうですか? ハーブのハで8がつく日だけ、店の前にハーブコーナーを作って」
「佐藤さん、頭いい! それだと突破できるかも!」
「月に1回から始めて、広げて行ってもいいですね。ハーブをひっくり返して、28日とか? マルシェみたいにしちゃいます? ハーブを使った食品を手がけているお知り合いとか、いないですか?」
「いますいます!」
するとマキマキさんが、「ハーブの刺繍もありですか?」と遠慮がちに口を挟んだ。
「ありです! いいですね、クラフト作家さんのハーブ作品」
「佐藤さん、企画できちゃいましたね。ハーブマルシェ」
パートに決定権なんてないのに、勝手に話を進めてしまっている。いつもマイさんを見て、あのバイタリティはどこから湧いて来るんだろうと思っていたけれど、今の自分にも驚いている。自信もアイデアもどんどん湧いて、ハーブみたいに元気になっている。
店長かもしれないって思われていただけなのに。
次回6月22日に伊澤直美(53)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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