第46回 伊澤直美(16) 母親って「良かれ教」の教祖だから
「災難だったね」
直美の長い話を聞き終えて、タヌキは短く感想を言った。
「サイナンダッタネ」の8文字に「そういう人っているよね。そういうことってあるよね。わかるよ」が込められている。
ランチタイムのテーブル。今日もチーズのとろけ具合が絶妙なミラノ風カツレツにフォークを突き刺し、かじりつき、胃に納めながら、通勤電車で遭遇した「良かれ教」の男性の話をしたところだ。
「イザオにも話した?」
「適量って大事だよなって言ってた」
「イザオらしいね。つぶれるまで飲まないし」
名前の最初の一文字と最後の2文字をつなげて呼び合う同期入社ルールで、田沼深雪はタヌキ。旧姓の原口を職場で使い続けている直美はハラミ。伊澤孝雄はイザオ。タヌキとつき合って5年で結婚が決まっている的場始はマトメ。
「良かれ教っていいね。これから使おう」
イザオはピンと来ていなかった「良かれ教」の意味合いを、タヌキはすんなり理解した。それだけ災難に遭っているということだ。
学生時代のタヌキは「なぜミスキャンパスに出ないの?」と言われ続けた。同級生にも、教授にも、学食のパートさんにも。出ない理由を説明するのも面倒だし、出たら黙ってもらえると思って、出ることにした。
就職活動が始まると、「ミスキャンパスなら選び放題じゃない?」と言われた。「なぜアナウンサーにならないの?」「航空会社は受けないの?」と就職先も指定された。どちらかと言えば地味な中堅食品メーカーに就職したのは、「飲みに誘って来なかったのが、うちだけだったから」と以前聞いたが、「華やかな人は就職先も華やか」という決めつけへの反発もあったのかもしれない。
妊婦が皆、電車で座りたいわけではないように、華やかな見た目をしているからといって、誰もがミスコンに出たいわけじゃないし、テレビに映りたいわけじゃない。
「妊婦なんだからいたわって当然と同じように、美人なんだから活かして当然って思っちゃうのは、わからなくないけどね」
直美が言うと、「私も、それ自体は否定しないよ」とタヌキは言って、続けた。
「でも、コンテストで順位つけてもらうのが活かすってこととは限らないよね。それで傷つくことだってあるし」
なるほどと直美は思う。過保護になるより、そっとしておくほうが、「いたわる」になることもある。板挟みになったり、気を遣ったり、いたたまれなくなったり。それって、かえって体に悪い。胎教にも悪い。
自分にとっての正解が、みんなにとっての正解とは限らない。立場が変わると、見え方が変わる。そのことを自覚できているかどうかが大事なのかもしれない。
「イヤホン引き抜かれた女の子も災難だったよね」
「ほんとそれ。今頃どっかでランチ食べながら愚痴ってるかも。ミラノ風カツレツにフォークぶっ刺しながら」
「でも、イヤホン抜いた男の人がハラミのお父さんだったら、美談になったかもね」
「美談になる?」と直美は首を傾げる。
「スマホに夢中になってる女の子の肘が、大事な孫が入っている娘のお腹に当たってたら、そりゃ注意するでしょ。返事がなかったら、イヤホン引っこ抜いちゃうでしょ」
「だから、お腹には当たってなかったの。脇腹だったの。それでいきなりイヤホン抜くの暴挙でしょ?」
「なんだけど、もし、お父さんだったら、許せちゃうって話。守りたい気持ちが強過ぎて、まわりが見えてなかったんだなって」
確かに、男性はもちろん直美の父親でなかったが、お腹の大きな娘がいる可能性はある。直美と自分の娘を重ねていたとしたら、行き過ぎた行動にも納得がいく。「良かれ」の成分や効能によっては、容量オーバーを許せてしまう場合があるのだ。
「ホルモンバランスとかその日の気分も関係するよね。例えば、ハラミがイザオと朝ケンカした後だったら、ハラミのお腹の赤ちゃんを守ろうとして憎まれ役を買って出てくれた男の人に、じんとなったかも」
それもなるほどと直美は思う。わたしの正解も、いつも同じとは限らない。同じことをされても、ありがたいときと迷惑なときがある。「良かれ教の人に遭遇したらスフレチーズケーキ」と言われると、「会ったらどうしよう」が「会っても良し」になるように。
「わたしが良かれ教の人に過敏になってるのって、母親のことを思い出しちゃうせいかも。だから、同じにおいのする人たちの余計なお世話をやり過ごせなくて、いちいち突っかかってしまうのかな」
直美がそう言うと、タヌキが大きくうなずいて言った。
「母親って、良かれ教の教祖だからね」
「教祖だよねー。自分の考えが絶対だからね」
「そうそう。娘のこと、自分の分身みたいに思ってる。着るものの好みまで完全一致求めてくるから」
「タヌキのお母さんって、うちの母親と同じ人じゃないよね?」
「だったら怖い」
笑い合ってから、おそるおそる聞いてみた。
「もしかして、結婚のこと、色々口出されてる?」
「当たり。レストランウェディングは却下。ザ・披露宴一択。会ったことのない媒酌人つき。そこまでは歩み寄ったんだけど、今度は誰を呼ぶ、呼ばないでもめてて、全然進まない。この分だと、ドレスもブーケも選ばせてもらえないかも。これ誰の結婚式だっけってなってる」
マトメと結婚すると報告を受けてから、半年。パーティーの案内がなかなか来ないなと思っていたら、そういう事情だった。
「こればかりは気の持ちようで解決できないよね」
「マトメのほうの招待客と釣り合いが取れないとか言い出して、どんどん面倒になってきちゃって。結婚なんかしないほうがいいんじゃないって思えてきた」
「結婚は」
結婚はしたほうがいいよと言いかけて、直美は続きを飲み込む。と同時に、息を吐くように口から出かけたその一言に、「良かれ」と押しつける意図が入る隙などなかったことに気づく。何人もに言われ、直美を追い詰めた「子どもは産んだほうがいい」も、その多くは、軽やかに放たれた無邪気な個人の感想だったのかもしれない。
わたしもあなたの良かれ教の教祖になっちゃうのかなと直美はお腹をさする。返事をするように、ぐわんとお腹の中で命が動く。そこにいる。育っている。日々大きくなる重みを感じている。幸せになって欲しいと願う気持ちもどんどん大きくなる。それが片想いの「良かれ」であっても。
からだと心が母親になっていくにつれ、わかり合えないと思っていた母親との溝が埋まっていくような気がしている。良かれ教の困った人たちとの遭遇も、そのことで思い煩う体験も、教祖と向き合う日の予行演習。そう思うことにした。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第47回 多賀麻希(15)「『鬱金香』って何の花?」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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