第168回 多賀麻希(56)特注のエコバッグ
カズサさんが楽しみにしていた「ノマリー・アントワネットの庭」を案内してから家に入った。花のにおいを嗅いでもらえないのは申し訳なかったが、マリー・アントワネットの頭みたいなぐるぐる巻きの蔓を手でなぞり、満足してもらえたようだった。
モリゾウの反応を楽しみにしていたのに、出かけてしまっていた。お客さんが来ていることはメッセージしておいたが、既読はついていない。
「バッグのイメージがあれば、先におうかがいしましょうか」
ストックしてある布をダイニングテーブルに広げながら、麻希はカズサさんに聞いた。
「チューリップバッグを見て、作っていただきたいなと思ったのは」
トルソーのボディラインをなぞっていたカズサさんは、そこで一拍置いてから言った。
「エコバッグです」
「エコバッグ?」
思わず聞き返した麻希の声がうわずった。
花で来るのか、いや動物かと思っていたら、まさかのエコバッグ。シンプルすぎるリクエストに拍子抜けしてしまう。もしかしたらデザインは関係なくて、バッグを作れる人を探していただけなのだろうか。
だったら、わたしじゃないんだな。
軽く腹ごしらえしようと入った店で席に通され、周りのテーブルを見て場違いだと気づくことがある。間違えましたと言い出す勇気がなく、一番安いメニューを注文するものの食事を楽しめず、味もわからず、注文する前に店を出れば良かったと後悔が募る……という痛い経験を何度かしているので、言うなら早いほうがいいと思うのだが、こちらから誘って家まで連れて来ておいて、今更すぎる。
先に確認しておくべきだった。スーパーマルフルからここまでの道のりを思う。あの距離をカズサさんと引き返すことになるのか。気まずさを連れて。
「小さく折り畳んで買い物に使う、いわゆるエコバッグですか?」と確かめると、
「あれってエコバッグですよね?」とカズサさんに聞き返された。
「エコバッグで合ってます」
エコバッグって何回言うのだろうと麻希は思いながら、ポケットに突っ込んでいたのを思い出す。そう言えば、スーパーマルフルへ行って、買い物をせずに帰って来たのだった。カズサさんを送ったついでに買い物しよう。
「こういうシャカシャカした生地は、うちになくて」
エコバッグを広げ、カズサさんに触ってもらいながら告げる。普段こういうの作らないんですという意図が伝わるだろうか。すると、
「シャカシャカしてなくてもいいです」とカズサさんが言った。
「なんでかシャカシャカしてますよね。エコバッグって。レインコートみたい。そんなしょっちゅう雨降らんのに」
シャカシャカを連発するカズサさんの関西弁を聞いて、確かにと麻希は気づく。エコバッグはシャカシャカしてなくてはいけないという思い込みがあった。
「シャカシャカしてるほうが折り畳んで小さくしやすいんかもしれませんけど、それより触り心地の楽しいエコバッグが欲しいんです。ボタンとか刺繍とか触ってわかるものをつけたいんです。でも、そういうの、どこにも売ってなくて」
だったら、わたしでいいのか。
「エコバッグだけど、こだわりたいっていうことですね?」
「そうです。普段使いだからこそ、広げるたびにうれしくなるバッグがいいんです!」
カズサさんはそう言って、「特注なので、それなりのお値段になることは理解してます」と続けた。
「エコバッグって作ったことなくて。カズサさんが初めてなので、トライアル価格で作らせてください」
作家として注文してくれているのがうれしくて、つい言ってしまった。
「いいんですか? やったー」とカズサさんは小さくバンザイした。
カズサさんに布を触ってもらいながら、これは白と水色のストライプですなどと色や柄を説明した。
「正直、触った感じは変わらないです。レース素材とか刺繍とかギャザーとか立体的な変化が欲しいかも」
「なるほど」
ボタンは大きさや凹凸の違いがわかりやすいので触って楽しいと言う。
「うちの子連れてきたら喜びますわー。お裁縫大好きなんですよ」
カズサさんは中学生だという一人娘のことを話してから、
「お子さんは?」
と麻希に聞いた。
自然な流れではあったけれど、この質問はいつも困る。模範回答があったら欲しい。
「いえ……」
「これからですか?」
「年齢的に、ないと思います」
「あれ? 新婚さんなんですよね?」
カズサさんが意外そうに言う。佐藤さんは何でも話しているらしい。
「歳はカズサさんと近いと思います」
「今からでも授かるかもしれませんよ」
42歳。今から? そんなことがあるのだろうか。
今妊娠したら、子どもが成人するときには還暦を過ぎている。欲しくないなら、避妊すべきだろうか。
「いやー、できないと思います」
これまでさんざん無防備なことをしてきたのに、できませんでしたからとまでは言わなかった。
「この水玉可愛いですよ」と話題を布選びに戻し、「水玉って点字に似てますよね」と言うと、カズサさんは首を傾げた。
「似てないですか?」
「点字は点で、水玉は丸ですから」
「点字を拡大して大きな丸にしたらデザインとして面白いと思うんです。レゴブロックにも似てますし」
「うーん。アメリカ人に、あんた日本人やからバッグにひらがな入れたらって言われたら、なんか微妙やないですか?」
カズサさんにそう言われて、とても失礼なことを言ってしまったのではないかと気づいた。押しつけがましい上に乱暴でリスペクトがない。
「ごめんなさい。そうですよね。今まで周りにそういう人がいなくて」と謝ると、
「私こそ会ったばかりの人に子どもの話なんかして、ごめんなさい」と謝られた。
「ボタンと言えば」
思い出したのが、古墳バッグだった。モリゾウが「古墳みたい」と言ったので、そう呼んでいる。
モリゾウに出会う何年も前に付き合っていたツカサ君が部屋に置いて行った古着をつなげ、アンティークのボタンをちりばめている。
「これ売れますよ」
モリゾウの声が蘇る。
麻希が作ったと聞いて、出会って数時間しか経っていないモリゾウがそう言ったのだ。最後の恋人が残して行った服がバッグに化け、モリゾウが目に留め、商品価値を見出した。後に麻希のバッグをオンラインショップで売ることになる序章は、ふたりが付き合うより前に始まっていた。
ツカサ君の名残がmakimakimorizoにつながり、ひまわりバッグやチューリップバッグが生まれた。チューリップバッグを作ってなかったら、この家に越して来ることはなかったし、カズサさんとつながることもなかったし、今こうしてふたりで布を選ぶこともなかった。
「うわー、ギザギザやらナミナミやらメリハリがあって楽しい〜。こんなエコバッグが欲しいです!」
古墳バッグを触りながら、カズサさんが声を弾ませた。
「これはジーンズなので厚手ですけど、夏物の薄手のシャツなんかだと畳みやすいです」
「子どもが着なくなった夏服があります! それバッグにしたいです!」
「なるほど。カズサさんに素材を提供していただくの、ありですね! 子ども服をパッチワークにしたら色も手触りもにぎやかで楽しいかも」
「そうしましょう! うわ、めっちゃ楽しみ!」
制約があるほうがかえって自由になれるとモリゾウが言っていたのを思い出す。
今、不自由とダンスできているかもしれない。
次回10月5日に佐藤千佳子(57)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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