第141回 伊澤直美(47)クリスマスはここ!
休日のスーパー。優亜の手を引き、イザオがゆっくりと売り場を歩く。その後ろを直美が歩いている。子ども椅子のついたショッピングカートに乗せようとしたら、優亜が「あう、たい!」と主張したのだ。
舌が回らず「歩く」が「あう」になっているが、「歩きたい!」という意志は伝わる。「食べたい」は、食べることを「あむあむする」と言っていた名残で「あむ、たい!」となる。
あと1か月で2歳になる優亜は、冬ごもりする動物が食料を蓄えるような勢いで言葉をふやしている。好きな食材を見つけると、「はむ!」「とま!」などと知らせる。「ハムだねえ」「トマトだねえ」とイザオと直美は食材のフルネームで応じる。こんな風に子どもは言葉を獲得していくのだなと思う。
優亜の歩幅に合わせて歩くのは、市場調査にちょうどいい。精肉売り場で「スープ、煮込み料理に」のPOPと共にキドニー豆の缶詰が並べられているのを見て、うちの会社のレトルト豆を入り込ませたかったと思ってしまう。棚の面積は限られているから取り合いだ。
「クリスマスチキン予約受付中」のポスターを見つけた優亜が「ここ!」と指差し、直美を振り返る。
「ここにもクリスマスあったね」と直美は応じる。
駅前の商店街にクリスマスイルミネーションが灯るようになった12月始め、「クリスマスが来るね」と直美が言うと、「どこ?」と優亜が辺りを見回した。時期が近づいて来るのではなく、姿形のあるものがやって来ると思ったらしい。
「クリスマス、もう来てるね。ここにも、ここにも」
目についたクリスマスツリーやサンタクロースのステッカーや直美が次々指差すと、優亜も一緒に「ここ、ここ」と指を差した。
以来、行く先々で「ここ!」と小さな指を差しては「クリスマス見つけた!」と知らせてくれる。朝と夕方、保育園の玄関に飾られたクリスマスツリーの前を通るたび、「ここ!」と直美やイザオに教える。
「クリスマスツリーどうする?」とイザオが聞いた。
イザオの上司の堀池さんが「クリスマスツリー要る?」と言ってくれ、返事を待ってもらっている。
堀池さんは女の子3人のお父さん。3人とも就職して家を離れ、夫婦ふたりで暮らしている。その家に眠ったままのクリスマスツリーをもらって欲しいと言う。かなり大きく立派だが、知らない人には譲りたくないらしい。イザオは飛びついたのだが、直美は「どうしよう」となっている。1年のうち1か月ほどしか出番のない、残りの11か月は邪魔になるものを置くスペースをどうしよう。でも、届けに来るついでに優亜に会うのを楽しみにしてくれている堀池さんをがっかりさせるのも申し訳なくて、どうしよう。
頭にあるのは、母から株分けされたレモンの木だ。
今年の夏、押しつけられるような形でイザオが持ち帰り、ベランダにプランターを置いて育てているが、花をつけず、もちろん実もつかなかった。
当たりの年と外れの年があるのだと一人暮らしの母の話し相手になってくれている熊木彩子さんに慰められたが、本当はうちに来たくなかったのではないかと葉っぱだけのレモンの木に水をやるたびに胸が痛む。
だから、堀池さんのクリスマスツリーにも気が引けてしまう。3人のお嬢さんとの思い出がついて来るのだ。ツリーの大きさ以上に思い入れの重さが引っかかっている。なまものではないから枯れる心配はないけれど、保育園にあるツリーで十分ではないか。
直美がそんなことを悶々と考える一方で、イザオは「堀池さんも喜ぶし、ウィンウィンじゃない?」と脳天気だ。子どもを産む、産まないのときもそうだった。イザオは先のことを深く考えないが、直美は考え過ぎてブレーキを踏んでしまう。
名前の通り直感で動く性格で、同期入社で意気投合したイザオと勢いで同棲を始めたときは、その性格が発揮されたのだが、「子どもどうする?」を考えるようになって以来、慎重になっている。子どもを産んだら産んだで、大胆になった面もあるが、臆病にもなっている。
「ここ!」と言う優亜の声で物思いから引き戻されると、優亜がイザオとつないでないほうの右手で精肉売り場の一角を指差している。
肉料理の彩り用にということだろうか、袋入りのパセリが並び、その根元にクリスマスカラーのリボンが巻かれている。
「ここにもクリスマス、あったね」
リボンをかけたパセリは棚の下のほうに並んでいて、優亜の目線の高さにある。子どもの目に留まりやすい高さに、子どもにアピールするものを置くと、子どもが見つけて大人に知らせてくれる。こんな売り方もあるんだなと直美は発見する。
消費者インタビューでパセリの花束の話をしてくれた人のことを鮮やかな赤の口紅とともに思い出す。今やチューリップバッグの人でもある。取引先のスーパーでパート勤めをしていて、そのつてでインタビューに応じてもらった。パセリの花束は彼女の思いつきを行動力のある同僚が形にしたのだと話していたが、ここはその系列のスーパーだと思い至る。取り組みが系列店に広がっているということだろうか。ちょっとした知り合いの活躍を知ったようなうれしさを覚える。
会計を済ませたパセリを優亜は「もっ、たい!」と言ってつかんだ。リボンの下あたりを持ち、花束のように立てて運ぶ。
「あら、クリスマスツリーみたいね」
白髪を紫色に染めた上品そうな婦人が、エコバッグに品物を詰める手を止め、にこやかに声をかけてくれる。
「ここ!」と優亜が元気よく返事をする。
「ここ?」と婦人が聞き返す。
「クリスマスはここって言っているんです」と直美が補うと、
「おばちゃまもクリスマス欲しくなっちゃった」と婦人は朗らかに言う。
「ここ!」と精肉売り場のほうを優亜が指差す。
「あちらにあるのね?」と婦人が指差す先に目をやる。
「精肉売り場です」と直美が言うと、
「行ってみるわ」と夫人は直美ではなく優亜に言った。
「すごいな優亜。営業の才能があるぞ」
見ていたイザオが言った。
パセリのクリスマスツリーでこれだけ喜ぶのなら、もっと大きなクリスマスツリーを家に迎えたらどんな顔をするのだろう。今年のクリスマスに、今の優亜に、ツリーが欲しい。あったらうれしい。そう素直に思えたら、目の前の問題が一気にシンプルになった。
「クリスマスツリー、もらおっか」
「いいの? かなり大きいらしいけど」とイザオが念を押した。
「大きいほどいいよ!」
「何だよそれ?」とイザオが吹き出した。
つられて直美も笑う。優亜もパセリのクリスマスツリーを振って笑う。
クリスマスは、ここにある。
次回12月23日に伊澤直美(48)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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