
第221回 多賀麻希(73) わたしの美しいカケラ
「きれいだね」
モリゾウが言った。
自分のことを言われたようで麻希はくすぐったくなる。
定位置に座ってモリゾウと向かい合っているテーブルに広げた石を見ている。
2泊3日の手術入院から帰宅し、旅の土産を差し出すように「はい、これ」と半透明の容器をテーブルに置いた。その中身をモリゾウが空けた。
麻希の体から取り出された胆のうに入っていた胆石。
手術を終え、ストレッチャーに乗せられて入院室へ運ばれ、ベッドに移されたとき、
「はい、これ」
看護師さんの元気な声とともに、枕元にあるテーブルに何かが置かれた。
看護師さんたちが慌ただしく去り、病室がしんとなり、テーブルに目をやると、懐かしのフィルムケースのような容器があった。手に取ると、黒い石が詰まっていた。
そう言えば、看護師さんが「はい、これ」の後に短く何か言っていた。タ行が多い何か。あれは「取った胆石」だったのかと思い至った。トッタタンセキ。
胆のうを取ることは失うこと、手放すことだと思っていたが、胆石は残るのだった。
容器のふたを開け、ひと粒取り出し、てのひらにのせた。思ったより軽かったけれど、確かにそこにあるという存在感が伝わった。
胆のうにしまったままだったら会えなかった。こんな重さ、こんな大きさ、こんな形、こんな色をしていたのか。体の奥深くで黙々と育ち続けていた粒が健気でいじらしくて無性に愛おしい。
出産ってこんな感じなんだろうかと思った。

「黒なんだね」
モリゾウの重低音で現実に引き戻され、入院室で対面した胆石が目の前の胆石にスライドする。
診察室で見せてもらった写真には色とりどりの石が並んでいた覚えがあるが、麻希の胆石は黒々として艶やかで、青く光っているように見える。表面は磨き込んだようになめらかだ。粒の大きさも揃ってる。
麻希は最初、ダイヤを連想した。入院1日目、夜中に目が冴えてスマホを開き、「黒ダイヤ」を検索したが、出てきた画像を見ると、黒がくすみ、表面がざらついて石炭のように見えた。ダイヤモンドも石炭も炭素からできていると遠い昔の授業で教わった記憶が蘇った。
続いて検索した「黒真珠」は艶のある黒で、形は丸みを帯びていた。こっちのほうがうちの子に似てると思った。
そんなことを思い出していたら「黒真珠みたいだ」とモリゾウが言った。
今わたし脳内実況をしてた?
そういうことはよくある。モリゾウが何か言って、今ちょうどそのこと考えてたとなったり、その逆もある。夫婦ってそんなものなのだろうか。そんなふたりだから一緒になったのだろうか。
一緒になったというか、ずっと一緒にいる。新宿三丁目のカフェで出会って、一緒に店を出て、そのままモリゾウが麻希の住んでいたアパートについて来て以来、体を重ねたり、籍を入れたり、栞を挟むような出来事を刻みつつ、同じ物語のページをめくり続けている。モリゾウを知らなかった時間のほうが長いのに、モリゾウと出会ってからのほうが長く生きているような気がしている。
別々の場所で夜を明かしたこともない。麻希の突然の自己開示にいたたまれなくなったモリゾウが部屋を飛び出し、朝まで帰って来なかった長い夜ぐらいだろうか。

2泊3日の入院の間、モリゾウとは会わなかった。こんなに長い間離れたのは、初めてだった。
手術の付き添いも断った。初めての手術で心細かったが、麻酔から覚めたときに予期しないことを口走る可能性があると入院前の説明で麻酔医に告げられ、モリゾウに来てもらうのはやめようと思った。
ツカサ君の名前を呼んでしまうかもしれないから。
「烏の濡れ羽色って、こんな色なのかな」
モリゾウは飽きずに胆石を観察している。生まれた子どもの顔をのぞきこんでいるみたいに。
「でも、真っ黒って珍しいのかも」
「そうなんだ?」
眠れなかった入院1日目の夜、「胆石」で画像検索すると、いろんな人が自分の胆石を披露していた。拾ったどんぐりを見せ合うように。
「黒に茶色と白の縞が入ってシジミにしか見えないのもあって」
「シジミ?」とモリゾウは聞き返し、「シジミと間違えて食べたら、その石どこに行くんだろ」と言う。
「何それ?」と笑うと、おへその手術痕に響いてイタタとなった。
「ちょっと笑わせないで。お腹痛い」
「マキマキが言ったんだよ。シジミって。真珠もシジミも海で獲れるけど」
モリゾウにまた笑わせられ、またイタタとなる。
「黒真珠みたいな胆石ってレアなのかも。うちの子が一番きれいって思っちゃう。親バカだね」
笑った勢いで口が軽くなったことに気づいて、麻希はハッと口をつぐむ。
「俺は、自分の遺伝子は残せないからさ」
去年の夏、ひまわりの種を前にモリゾウがぽつりと言ったのを思い出したのだ。あの言葉の意味をまだ聞けていない。

ひまわりの種を持ってきたのはモリゾウに受験英語を教わりに来ていた高校3年生のフミカで、自分にもあれくらいの歳の子どもがいたかもしれないと想像した。モリゾウと結婚していなかった世界で。
フミカは今年の受験で結果を出せなかった。わざわざ報告に来てくれたのだが、東大を受けたと聞いて、モリゾウが下手な憧れを抱かせてしまったのだろうかと申し訳なく思った。それもあって、麻希の中ではひまわりが実を結ばないイメージがより強くなった。ケイティにデザインを盗まれたひまわりバッグといい、ひまわりは何かと麻希の胸をざわつかせる。
「これって何年物だろ?」
モリゾウは麻希の親バカ発言に引っかかった様子はなく、胆石に気を取られている。
「その言い方、ウイスキーみたい」と言うと、
「ウイスキーじゃないよ。真珠だよ」と訂正された。
ここまで育つのに何年かかったんだろと麻希は考える。最初の石はいつ現れたのだろう。
「これってマキマキの著作物になるのかな」
「著作物?」
「作者の思想や感情を表現した物は著作物だから」
胆石を見てそんなことを言うなんて、演劇人の発想だなと麻希は思う。
「思想を込めて生み出したわけじゃないから。裏山にいつの間にかできてたきのこみたいな感じで」と言うと、
「きのこじゃなくて真珠だよ」とまた訂正された。
「思想は詰まってなくても、時間は詰まってる。真珠って、少しずつ大きくなるんだよね。漆を塗り重ねるみたいに」
モリゾウの長い指が胆石の肌に触れる。自分が触れられたようで麻希はドキッとする。あの指に長い間触れられていない。

「お疲れさまでした」
「胆石に言ってるの?」
「みんな」とモリゾウが答える。
麻希の辛くてしょっぱい日々を受け止めた胆石。増え続け育ち続ける胆石を受け止めた胆のう。その胆のうを抱え続けていた麻希。みんなお疲れさま。
胆のうが麻希から切り離され、その胆のうから胆石が解き放たれ、モリゾウの指に撫でられている。
わたしの一部だった美しいカケラたち。
胆のうを取った他の人たちも胆石を見ながらこんな風にしみじみ語り合ったりするのだろうか。
「他の人たちって、どうしてるんだろね?」と言うと、
「胆石を?」とモリゾウが聞く。
持ち帰った胆石をどうしているのか。飾るのか、しまうのか。捨てるのか、忘れているのか。
「それもあるけど……」と言いかけると、
「胆石と?」とモリゾウが引き取った。
「を」が「と」になった途端、麻希が言いたかったことにぐっと近づいた。
麻希のまとまらない思いにモリゾウの言葉はピンを立ててくれる。麻希の見つけ辛い静脈に看護師さんが迷いなく採血の針を突き刺すように。
「そう、胆石と」
胆石を育てた日々ごと抱き留められたような気持ちになる。思い出したくないような報われない日々があったから、足踏みして、遠回りして、モリゾウと出会えた。

まだ続くよね。続くんだよね。わたしたちの物語。一緒にページをめくっていくんだよね。
胆石の肌を滑るモリゾウの指が漆を塗っているように見える。その指が止まった。
「マキマキの手術が終わったら言おうと思ってたんだけど」
「けど」の続きを待つ数妙の間に良い話と悪い話とどうでもいい話が麻希の頭の中を駆け巡る。
「俺、就職しようかな」

次回5月2日に多賀麻希(74)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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