
第224回 佐藤千佳子(76)それは今いちばんやりたいこと?
「折り入って話があるって言われて、これから会うんですけど」と千佳子が言うと、
「折り入って。気になりますね」とマイさんが身を乗り出した。
マイさんの好奇心はフレッシュハーブみたいだと千佳子は思う。葉っぱを大きく広げて、しおれることを知らない。
「何の相談をされるのかわからなくて。マイさんが隣にいてくれたら心強いなと」
「勧誘なんかだと断りづらいですよね。初めて会う人ですか?」
「いえ、こちらにも時々買い物に来られる方で、ハーブマルシェの企画書のイラストも描いていただいたんですが」
すると、マイさんは「なーんだ」と笑った。
「私を描いてくれた人じゃないですか」
そうだったと千佳子は思い出す。ハーブマルシェの売り場に立つ緑のエプロン姿の女性は、マイさんがモデルだった。
千佳子がマキマキさんとマイさんをつなげたのではない。マルフルに買い物に来たマキマキさんと立ち話をしているところに
「うちの農園のパセリ、お買い上げありがとうございます」
と緑のエプロンを着けたマイさんが声をかけてきたのが出会いだ。
マイさんはどこにでも顔を出して、根を張る。さすがハーブの人だ。
あのときマキマキさんが買い物袋に詰めていたのはカットのパセリだったが、探していたのは苗だった。マイさんは以前マルフルにハーブ苗を売り込んだことがあったが、スペースの関係で断られていた。だったら月に何度か店の前でハーブ苗を扱ってみてはと千佳子が思いつき、いっそマルシェにと話が膨らんだのだった。
千佳子の力不足でマルシェ計画は止まっているが、月に1度から始めたハーブ苗コーナーは毎週末の定番になっている。
待ち合わせのファミレスに到着すると、マキマキさんは先に席に着いていた。
待ち時間にスマホではなく本を開く人だ。それが似合う人だ。布製のブックカバーがかけられていて、本の表紙は見えない。
文庫本が読めるということは、老眼はまだ始まっていない。うつむいていても、ほうれい線が目立たない。どちらも気になり始めた千佳子は、マキマキさんより数才先を歩いていることを実感する。
本から顔を上げたマキマキさんは、千佳子の隣にいるマイさんを見て、ちょっと驚いた顔になったが、「ご無沙汰してます」と笑顔をこぼした。
マキマキさんはマイさんに悪い印象を持っていない、「折り入って」の話をマイさんに聞かれるのも問題ないと一瞬の表情の変化から千佳子は読み取る。
「マルフルでバッタリ会って」と言いかけると、
「私が会いたいって押しかけちゃったんです。マキマキさんと一度ゆっくりお話ししたくて」とマイさんが朗らかな声で続きを引き取った。
「そうだったんですね」
言葉は少ないが、マキマキさんの表情が和らぐ。どうやら両想いのようだ。
マイさんとマキマキさんをつなげたパセリと、パート帰りのファミレス。千佳子の頭の中に5年前の夏の記憶が呼び出される。
1階の書店で買い求めた「月刊ウーマン」をこの店で開いた。
《パセリを花束みたいに活けている話をすごく楽しそうにされた方がいたんです。花束は主役、パセリは脇役ってイメージがありますが、パセリが主役になるんだって新鮮な驚きがありました》
アイタス食品の商品開発室で働く原口直美さんを取り上げた見開き記事で「パセリの花束」のことが語られていた。
原口直美さんとはアイタス食品の商品についての消費者インタビューを受けたとき、画面越しに会ったことがあった。
出元が千佳子だとは知らず、パセリの花束のことが記事になっていると教えてくれたのも、マイさんだった。
千佳子が「月刊ウーマン」を手に取ったのはそのときが初めてで、名前すら知らなかったが、マイさんは映画配給会社で勤めていた頃に載ったことがあるらしい。
「月刊ウーマン」に載ったことのある人が、もう一人、千佳子の身近にいる。野間さんだ。外資系広告代理店でバリバリ働いていた人と、マルフルではパートの同僚だった。

「それで、お話というのは……」
「そのことなんですけど……」
ドリンクが揃ったテーブルで千佳子とマキマキさんはかしこまる。
千佳子は聞き出し下手で、マキマキさんは切り出しにくそうで、話題を探り合うお見合いのようになってしまう。
「私、当てていいですか?」
見かねたマイさんが割って入った。
「マキマキさんの相談って、お仕事のことですよね?」
マキマキさんが目を見開く。図星らしい。
「当たった。マルフルでお仕事を探してらっしゃいます?」
マキマキさんがさらに目を見開く。
千佳子も驚く。野間さんの家の件でもなく、義母が押しかけている件でもなく、文香の家庭教師の謝礼の件でもなく、本読み隊の件でもなかった。さっきまで「折り入って」について考えながら値引きシールを貼っていたスーパーマルフル。そこで働きたいという相談だったのか。
「マルフルは順位でいうと何位ですか?」
マイさんの質問にマキマキさんが「順位?」と聞き返す。千佳子も「順位?」となる。
「1位ですか? マルフル一択ですか?」
マキマキさんの答えを待たずにマイさんは続ける。
「マルフル、ここからすぐですけど、マキマキさん、ここに来る前に立ち寄ってないですよね。つまり、本気度は低いですね。オープンキャンパスに行かずに、近くのカフェでこの大学どうですかと在学生に聞く受験生がいたら、その大学は本命じゃないです」

浪人生の娘を持つ千佳子の前でマイさんは受験生の喩えを出す。余計な気を遣われないのが千佳子には居心地良い。
文香は東大を受ける前にキャンパスを見に行ったのだろうか。文香によるとモリゾウさんは東大出身らしい。東大を見ずにモリゾウさんの話だけ聞いて知ったつもりになって、あの結果になったのだろうか。
「なるほど。服飾の勉強をされて、デザイン画を描いたりしてたんですね?あのイラスト、素人じゃないですもんね。それを活かすお仕事は検討していないんですか」
マイさんは次々と質問を投げかけ、マキマキさんが答えていくのをのを、カウンセリングに立ち会うような気持ちで千佳子は聞く。
「なるほど。やりたいのはドレスを作ることだけど、それが仕事になるか、まだわからない。だから、まずは時給を稼いで生活を安定させたい。ただし、時間はあまり取られたくない。そんな都合のいい仕事、マルフルにあるんでしょうか」
「都合、良すぎますよね」
千佳子は滑りの悪い襖を開けるように、「あのー、品出しっていうのがありまして」とぎこちなく割り込んだ。
「開店前の朝の1時間半だけ。朝早いし、時給はいいです。短距離ダッシュって呼んでる人もいます。しょっちゅう欠員が出て、代わりに行ける人も見つからなくて、マイナス2で乗り切ったりとか、いつも大変そうなので、歓迎されると思います」
「それ、いいですね。マルフルの開店が朝8時。その前にひと仕事できちゃいますね。マキマキさん、朝は得意ですか?」
「すみません。実は、あんまり……」
せっかくのいい流れを止めてしまうマキマキさんに、千佳子は親近感ともどかしさを覚えるが、マイさんの表情は明るいままだ。
「だったら、よろしいでしょうか。その早朝枠、うちのスタッフの研修に使わせてもらいたいです」
「研修?」と千佳子とマキマキさんの声が重なる。
「棚を確保するというのがどういうことなのか、現場で学んでもらいたいって思っているんですけど、見学だとお店の方にもお客様にもお邪魔になってしまいますよね。朝の開店準備。その手がありましたか。千佳子さん、さすがです」
千佳子には褒められる理由も裁量権もないが、マイさんなら、すぐに店長をつかまえて、話を進めるだろう。

ドラマで見る企業の企画会議みたいだと千佳子は思う。ここはファミレスで、わたしたちは普段着で、話題は「スーパーのパート」だけど。
「月刊ウーマン」に載る人たちは、こんな風に問題を持ち寄って解決しているのだろうか。
でも、マキマキさんの「折り入って」はまだ折り合いがついていない。
「ドレスが仕事になる見通しが立てばいいんですよね?」
千佳子の心を読んだように、マイさんが言った。考えがある顔だ。
「今年の秋に、私がやってるハーブセミナーのお祝いの会があるんです。せっかくだから、華やかにやりたくて、衣装のドレスも作りたいと思って。マキマキさん、デザインをプレゼンしてもらえますか?」

次回6月6日に伊澤直美(75)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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