
第227回 多賀麻希(75)終わりから始まる
「順調?」
色鉛筆を動かしながら、ダイニングテーブルを挟んで向かい合っているモリゾウに聞くと、
「マキマキは?」
と返ってきた。
「質問に質問で返すのって、答えてるようで答えてないよね」
「答えてないようで答えてるとも言える」
そう言うモリゾウの前に置かれたコピー用紙は白紙のままだが、モリゾウからは余裕が感じられる。一文字も書いていなくても、モリゾウの頭の中では物語が走り出しているのかもしれない。
以前、東大生のノートは頭の中のように整頓されているという話を聞いたとき、モリゾウのノートもそうだったのだろうかと思い、聞いてみたことがある。
「ノートは頭に書き込んでいた」
それが、東大に入学はしたが、卒業はしなかったモリゾウの答えだった。
モリゾウの後ろ、レースのカーテンとサッシ戸を開け放った向こうに初夏の庭の緑が広がり、モリゾウのシャツの白をくっきりさせている。クローバーやバジルは好き好きに伸び、道路に面した目隠しのラティスには去年より背丈を伸ばした薔薇が淡いピンクの花を咲かせている。
「書いてよ。わたしはドレスを作るから」
モリゾウにそう告げたのは、胆のう摘出手術入院から帰った日のことだった。
熊本から東京に出て来てからの心がすり減るような日々と引き換えに育ち続けた胆石は、思いのほか美しかった。黒真珠のようだと思った。愛おしさとともに、烏の濡れ羽が羽ばたくドレスのイメージが広がった。

モリゾウに宣言した通り、麻希は新作のドレスに取りかかっているが、スケッチブックに走らせている色鉛筆は黒でも灰色でも銀色でもなく、明るい緑だ。
ハーブのマイさんにオーダーされたドレスのデザインを考えている。
マイさんがやってるハーブセミナーのお祝いの会で着るドレスだ。
「せっかくだから、華やかにやりたくて、衣装のドレスも作りたいと思って」
と突然言われたのは、スーパーマルフルの佐藤千佳子にパートの募集があるのか相談したときのことだった。なぜかマルフルで落ち合ったというマイさんが一緒に来て、麻希の事情を察し、「ドレスが仕事になる見通しが立てばいいんですよね?」と言い、その場でドレスの発注を思いついたのだ。
作らせてもらえると決まったわけではない。まず、デザインをプレゼンし、採用されたら製作に進める。採用されない場合、プレゼン費用は支払われない。
製作予算は5万円。材料費込み。
デザインが採用されたら前金で支払ってもらう約束になっている。
レンタルやフリマアプリで1万円も出せばブランド物のドレスを着られる時代。ドレス1着に5万円かけると聞いて、居合わせたスーパーマルフルの佐藤千佳子は驚いていたが、その金額では赤字だ。
麻希が引き受けることにしたのは、マイさんが「5万円も出す」ではなく、「5万円しか出せない」と言ったからだった。
「割に合わない金額ですよね。宣伝費だと考えませんか。マキマキさんのドレスを着させてもらったら、宣伝します。力のある衣装なら、記事を見た人が勝手に広めてくれます。やりがい搾取になるか、先行投資になるか、マキマキさんの腕次第です」
そう言われたら、5万円以上のものを納品したいと思ってしまう。予算に合わせるのではなく、材料費も、かける時間も、採算度外視で注げるだけのものを注いで、マイさんの期待を上回りたいと焚きつけられた。

だが、緑の色鉛筆はスケッチブックの上で立ち止まったり動いたりを繰り返している。刺繍の針を運ぶように手を動かしてイメージの輪郭をつかもうとしているのだが、出口が見えず、迷走している。
マイさんに「こう来ましたか」と言わせたい。驚かせたい。マイさんの中にないデザインをプレゼンしたい。そうでないと、わざわざわたしにオーダーしてもらう意味はない。
自分の中にある引き出しを開けては閉じる。マイさんの思いもよらないデザインは、果たして手持ちの引き出しの中にあるのだろうか。
「順調?」とモリゾウに投げた問いを自分に返せば、エンジンをかけたものの車輪は空回りしている。
「次に作るドレスは、俺が次に書く戯曲と同じタイトルになるかもって言ってたよね」
とモリゾウが言う。紙はまだ白紙だ。
「うん、言った」
「何てタイトル?」
「何だと思う?」
モリゾウの質問に質問で返した。さっきのお返し。
「『棺に入る分だけ残しなさい』?」
「当たり。だけど、ハーブと棺って対極にあるよね? 生と死、始まりと終わり、みたいな」
「そっか。だったら、棺が終わりじゃなくて、始まりの話にすればいいのか。棺の引き継ぎ。あ、棺と羊って似てない? どっちも寝かしつけるものだし」
ひらめいたモリゾウの口数が多くなる。頭に浮かんだことをそのまま言葉にしている。いや、「ヒツギ」「ヒキツギ」「ヒツジ」と頭のノートに書き込みながら読み上げているのかもしれない。
「演劇の人って、そうやって考えるんだ?」と麻希が言うと、
「『そうやって』って?」とモリゾウが聞く。
「別方向からっていうか、反対側からっていうか」
「マキマキもさ、棺から発想したら、突破口になるんじゃない?」
「突破口」とモリゾウは言った。デザインの方向性が定まっていないのを見抜かれている。
トルソーに着せたウェディングドレスが視界に入る。

服飾専門学校時代の同級生だったケイティにひまわりバッグのデザインを盗まれ、オリジナルは自然界のひまわりだと開き直られ、何も手につかなくなった3年前の春、舞い込んだ依頼。
挙式を控えた田沼深雪という依頼主は、母親がかつて着たウェディングドレスを「好きにしてください」と初対面の麻希に託した。手付金の5万円とともに。
ドレスの胸についた小さなシミをクローバーの刺繍で隠した。クローバーを生い茂らせるように裾一面に広げた。刺繍針を何週間も動かし続けた。時給にすれば法外な値段になるが、まだ作れるという自信と、もっと作りたいという意欲を引き出してもらったことはプライスレスだった。
「お礼は、最初にいただいています」
麻希が告げると、そういうわけにはいかないと田沼深雪は恐縮した。だから、半分冗談、半分本気で告げたのだった。
「わたしが結婚するとき、このドレスを着させてください」
そのドレスを田沼深雪が届けに来たのは、麻希が結婚してだいぶ経ってからだ。彼女の同僚である伊澤直美は、義姉である伊澤亜子の代理でひまわりを購入し、手元に置いていた。そのバッグを借りて友人の披露宴に出席した田沼深雪の美しい姿がひまわりバッグとともに瞬間風速的に世間の目を引いた。その少し後だった。
麻希の元に舞い戻ったドレスは、長らく裸だったトルソーに着せられ、ダイニングの壁際からテーブルを見守っている。
視界に入るそのドレスに、マイさんのドレスが引っ張られてしまう。細身のシルエットの白いドレスに緑の刺繍。既視感。二番煎じ。麻希自身が見飽きたデザイン。

「ボツだ」
麻希はスケッチブックを一枚めくる。服飾専門学校を出て映像製作プロダクションで働いていた頃、社長は企画書がボツになると、「ボツの墓で古墳ができるで」と関西弁でぼやいていたのが懐かしい。
「古墳王子、元気かな」と呟くと、
「棺からの連想?」とモリゾウが聞く。
「じゃないけど、なんか、そっちに行っちゃうね」
「棺と言えばさ、クリーム待ちのシュークリーム思い出す」とモリゾウ。
麻希がモリゾウからバイトを引き継いだ新宿三丁目のカフェで、マスターの焼いたシュー皮がクリームを待っているところにモリゾウと訪ねたことがあった。
あのときモリゾウはエクレアが棺桶に似ていると言っていたなと麻希は思い出す。
「引っ張るね、棺。ていうか、好きだね、棺」
モリゾウをからかいつつ、「これヒントになるかも」と麻希は思う。
クリーム待ちのシュークリーム。
ハーブ待ちのハーブドレス。
ハーブを後づけにするのはどうだろう。

次回7月4日に多賀麻希(76)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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