
第237回 伊澤直美(79) いなくなった小鳥たち
マダムさんの店のショーウィンドウに吊るされていた小鳥のオーナメントが売れてしまった。
買われるのを止められなかった。
「これください」と言ったのが文香ちゃんだったから。
優亜が大好きなお姉さん。
優亜にお下がりのワンピースをくれた人。
最初はぶかぶかだったそのワンピースを優亜は何シーズンも着ている。寒い日には中に長袖を着込んで。
文香ちゃんに会うときは、もちろん着る。会うことがわかっていない日も、かなりの確率で着ている。
文香ちゃんがマダムさんの店に遊びに来てくれたその日も着ていた。
「また着てくれてる」と文香ちゃんは喜んでくれた。
「優亜ちゃん、とっても似合うね」とほめてくれ、
「優亜ちゃんに着てもらえて、お洋服、幸せだね」と笑顔を見せてくれた。
いつものように。
お下がりの服だけでなく、お姉さんとの時間も分けてもらっている。
文香ちゃんは進学先が決まらず、受験が続いているらしいが、横浜から目黒まで足を伸ばして、店番の優亜に会いに来てくれる。優亜にせがまれるまま、遊び相手になってくれる。
優亜の憧れのお姉さん。
「こんな女の子に育って欲しい」と直美も思う。
だから、余計に「これください」を止められなかった。

マダムさんの店を久しぶりに訪ね、店が長らく閉まっている様子に気づいたのは、春先のことだった。
「ゆあちゃん、ことりさんはみえてるんだけど、マダムさんはみえてないんだよね」
ショーウィンドウにおでこをくっつけて中をうかがっていた優亜が言った。あの日も文香ちゃんのお下がりのワンピースを着ていた。
初めてマダムさんの店を知ったのは、2年前の同じ時期で、ショーウィンドウにはイースターエッグが飾られていたが、その日見たショーウィンドウはクリスマスで時間が止まっていた。
「マダムさんのお店、魔法にかかったみたいだね」
マダムさんに何かあったのではという悪い予感を打ち消すように、直美は違和感を「魔法」と表現した。
「たまごがことりさんになったんだよ」と優亜は言った。
色とりどりのイースターエッグの記憶と目の前の水玉模様の小鳥たちが優亜の中でつながっていた。直美の目には同じ模様に見える小鳥たちは「ことりほいくえん」の先生と子どもたちで、「おたのしみかい」が開かれる物語が生まれていた。
「まちにまったおたのしみかいがはじまります。みずたまのいしょう、とってもかわいいですね。かわいくて、かわいくて、ほっとかないですね」
「ダンスをまちがえてもだいじょうぶですよ。ダンスをわすれたら、すきなようにからだをうごかして、いいなあ、たのしいなあって、にこにこしていましょう。にこにこするのもダンスですよ」
ことり保育園の先生になりきった優亜が園児の小鳥たちに語りかける言葉がやさしかった。保育園でやさしい言葉をかけられているのだなと思った。
そんなことを思い出していたら、ますます小鳥たちを手放したことが悔やまれる。

みんな行ってしまった。
小鳥のオーナメントがいなくなった空間に、つい目をやってしまう。
通りを歩く人の目を引くし、親しみやすさもあるから、看板代わりに飾っておいた。こんなことになるなら、外しておけば良かった。
お客さんに聞かれたときは、
「こちらは売り物ではないんです」
と答えていた。
店番に入っている他の人たちにも「小鳥は売らないでください」と伝えていた。
でも、誰かに買われることを止めたいなら、「売約済み」の札をつけておくべきだった。
自分の中に欲があったことも直美は認める。
マダムさんとは店番の報酬について話をしていない。時給いくらの仕事として引き受けたつもりはないが、まったくのボランティアというわけにもいかない。何かお礼をとマダムさんに言われたら、「あの小鳥をください」と言うつもりだった。
文香ちゃんが買ったとき、値札を確かめていなかった小鳥のオーナメントの値段を知った。思ったよりは値が張らなかったが、お小遣いで買うには思い切った値段だった。
「近所の子どもに勉強を教えていたら、家庭教師代をもらっちゃって。何か記念に残るものが欲しかったんです」
文香ちゃんはそう言った。
とてもいい買い物だと思った。本当は自分が買いたかったという事情を除けば。
でも、その思い入れは、直美だけのものかもしれない。

文香ちゃんが買うことになったとき、優亜はむしろ喜んでいた。大好きな小鳥さんが大好きな文香ちゃんの家にもらわれていくことを歓迎していた。独占欲がないのか、小鳥への愛着より文香ちゃんを慕う気持ちのほうが大きいのか。
文香ちゃんはスーパーマルフルの佐藤千佳子さんの娘で、直美は文香ちゃんよりも前に佐藤さんと知り合っている。アイタス食品の消費者インタビューの聞き手とモニターとして。
その後、電車の中で偶然再会したとき、それぞれの娘と一緒だった。その流れでお下がりのワンピースをもらうことになった。
佐藤さんは、ちょっとつかみどころのない人だ。おっとりしているかと思えば大胆なところがあり、突然ハーブマルシェを思い立つ。でも、詰めが甘い。瞬間風速的に周りを巻き込み、失速する。
直美の中では「惜しい人」という位置づけだ。いいものを持っているけど、活かしきれていない人。だが、文香ちゃんを見ていると、子育ては成功している。
事情を知らない佐藤さんからは、「お迎えした小鳥たち、とっても可愛いです」とキッチンに吊るしたオーナメントの写真が送られてきた。
その写真を見たときも、自分の中の嫌な部分が浮かび上がったようなざらつきを覚えた。
知らない人の手に渡るよりは、文香ちゃんに買ってもらえて良かった。そう思えたらいいのだけれど。
「ママ、なにをみてるの?」
優亜の声で我に返る。小鳥たちのいなくなった空間に向けた目が尖っていたかもしれない。
「小鳥さん、いなくなっちゃったなあって」
すると優亜が言った。
「ふーちゃんとはんぶんこしたんだよ」
「はんぶんこ?」
思わず聞き返した声に、力の抜けた笑いが混ざった。
子どもらしい。優亜らしい。微笑ましい。

保育園でおもちゃや絵本を取り合いになったとき、先生に「はんぶんこ」とたしなめられるらしい。おもちゃや絵本を半分に割ることはできないから、「独り占めしないで一緒に」という意味だ。
「じゅんばんこ」という言葉も保育園で覚えてきた。「はんぶんこ」から生まれた言葉かもしれない。おもちゃや絵本の「はんぶんこ」と「じゅんばんこ」は同じような意味合いで使われている。
仲良く譲り合って、順番に。
小鳥のオーナメントの紐を半分に切って上と下に分けるわけにはいかないから、「じゅんばんこ」の意味で言ったのだろうか。
「どうやってはんぶんこにするの?」
「ふみかちゃんがさきで、ゆあちゃんがあと」
なるほど。ワンピースと同じように、文香ちゃんから下りてくるのを待つらしい。
でもねと思う。
服は小さくなるとお下がりにできるけれど、小鳥のオーナメントにはサイズアウトがない。

次回10月17日に伊澤直美(80)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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