
第238回 伊澤直美(80) はんぶんこしませんか
「はんぶんこ、じゅんばんこ。文香も小さい頃言ってました」
テーブルの向こうで佐藤さんが懐かしそうに目を細める。
横浜にある佐藤さんの家を訪ねている。文香ちゃんの家でもある。
マダムさんの店にあった小鳥のオーナメントを文香ちゃんが買った。それを「はんぶんこ」するのだと優亜が言った。その小鳥たちに会いに来ている。
でも、優亜はここにいない。文香ちゃんが近所のパンケーキ屋に連れて行ってくれている。
「文香ちゃん、忙しい時期なのに」と直美は恐縮する。
「受験生なのに」と言うのは避けた。
「力を入れるより、力を抜くのが大事らしいんです」と佐藤さんは柔らかく微笑む。浪人生の母親とは思えない余裕を感じさせる。ハーブマルシェのプレゼンは前のめりで切羽詰まっている感じで、それゆえ先行きを見通せない危うさがあったのだが、娘の受験には大らかに構えている。
中学受験に落ちたとき「お母さんの人生、返して」と目を吊り上げた自分の母親とは大違いだ。
あの母親のようにはならないと誓って優亜を育てているが、同い年の子とわが子を無意識に比べて優劣をつけてしまい、自分の中にある母親が頭をもたげたようで怖くなるときがある。
人を出し抜いて一人だけ遠くへ行くより、人と手を取り合って一緒に目的地を目指すような子になって欲しいと願っている。
だから、保育園で「はんぶんこ」「じゅんばんこ」を教えてくれるのはありがたい。文香ちゃんも言っていたということは、特別な教育ではないのかもしれない。

パンケーキ屋は、直美が佐藤さんにハーブマルシェのプレゼンをされた店だ。マルシェ企画は詰めが甘く、アイタス食品として関わるメリットが見えなかった。会社にも上げず、直美の胸にしまった。
そのとき食べた期間限定のシトラスのパンケーキの話をイザオにしたら、食いついた。佐藤さんに鉢合わせたら気まずいなと思いつつ一家で再訪したら、佐藤さん母娘が先にいて、一緒にパンケーキを食べることになった。
2年前の8月。優亜は2歳7か月だった。
パンケーキ屋の壁に木の型抜きで「kirikabu」のアルファベットが並んでいるのを見て、「つみき、おんなじ!」と声を弾ませた。
知ってる、知ってる。
おんなじ、おんなじ。
知っているものをつなげて、つなげて、世界がどんどん広がっていく。
子どもってそうなんだ。わたしもそうだったんだ。
そんなことを思った直美も、今より2歳若かった。
その日も優亜は文香ちゃんのお下がりのお気に入りのワンピースを着ていた。佐藤さん母娘が見るのは初めてだった。
「お洋服も喜んでます」と佐藤さんが目頭を押さえ、
「ママ、洋服のキモチになりすぎぃ」と文香ちゃんがからかった。
優亜は文香ちゃんになついて、「たね」を連呼する遊びに夢中になった。
「やったね」
「たべたね」
「たのしかったね」
別れるとき、涙ぐんで、「またね」と言った。
ハーブマルシェ企画とは距離を置いたけれど佐藤さんと疎遠にならなかったのは、あの日のパンケーキ屋の「たね」のおかげだ。娘たちのつながりに母親たちがくっついている形でやりとりが続いている。
キッチンカウンターに吊るされた小鳥たちに見守られて、母親ふたり、お茶をしていいる。
テーブルの隅には、優亜が文香ちゃんに渡した折り紙のお守りと手紙が置かれている。置きっぱなしにしたというより、良かったらママたちも見てくださいという文香ちゃんの気遣いかもしれない。

佐藤さんとふたりきりで話すのは、まだ少し緊張する。ぎこちなくなる。でも、共通の話題はある。娘たちのこと。
「一人っ子なので、お姉さんができたみたいで喜んでいます」と直美が言うと、
「うちも一人っ子なので、妹ができたみたいで喜んでいます」と佐藤さんが言う。
「はんぶんこですね」
「はんぶんこですね」
きょうだいのいるうれしさを分かち合う。
娘たちのうれしさを母親たちも分かち合う。
「子どものとき、犬を飼いたかったんですけど、なかなか許してもらえなくて。犬を飼ってる友だちの家に行って、触らせてもらっていました」と直美。
「それもはんぶんこですね」と佐藤さん。
はんぶんこって、シェアってことか。
「優亜ちゃんのものでもあるので、いつでも会いに来てください」と小鳥たちに目をやり、佐藤さんが言う。
「ふみかちゃんがさきで、ゆあちゃんがあと」と優亜が言ったとき、お下がりを待つという意味なのかと思ったが、小鳥たちが先に文香ちゃんのところに行って、後から優亜が会いに行くという解釈もできなくはない。
置かれているのは文香ちゃんの家で、買ったのは文香ちゃんで、持ち主は文香ちゃんと優亜。
所在と所有が一致するとは限らない。その例を身近に知っている。
makimakimorizoのひまわりバッグ。
イザオの姉、亜子姉さんに頼まれて直美が代理で購入し、預かっていた6万円のバッグ。
6万円は出産と育児で創作から遠ざかっていた亜子姉さんのイラストが久しぶりに売れた値段だった。そのお金を亜子姉さんは他の人の作品に替えた。それで満足していた。
そのバッグを亜子姉さんは作者であるmakimakiさんに返した。「里帰り」と言って。
makimakiさんは受け取ったけれど、バッグの居場所が移っただけ。所有者は今も亜子姉さんのままだと直美は思うし、makimakiさんもそう思っているだろう。
だから、手元に存在しない小鳥のオーナメントを所有することはできる。
「はんぶんこ」と「おんなじ、おんなじ」が直美の中でつながる。

「そう言えば、つい最近、文香がはんぶんこって言ったんです」と佐藤さんが言った。
「いただきもののお菓子がひとつしかなかったので、全部食べていいよって言ったら、はんぶんこがいいって」
佐藤さんはそう言って、続けた。
「いいよ、ひとりで食べてって言ったんですけど、はんぶんこがいいってもう一度言ったんです。はんぶんこはひとりじゃできないからって」
「はんぶんこはひとりじゃできない?」
思わず聞き返した。というより、繰り返した。
「なんか、ハッとしちゃって」と佐藤さんが言う。
今、ハッとしたをはんぶんこした。
「ふーちゃん、今すごいこと言ったよって思わず言ったんです。文香は、きょとんとしてましたけど」
ひとつしかないから、じゃなくて。
ひとりじゃできないから、はんぶんこ。
はんぶんこできるって、ひとりじゃないってことなんだ。
「深いですね」と直美が言うと、
「ですよね」と佐藤さんがうなずく。
言葉で補わなくても通じ合うようになると、やりとりは短くなる。
誰かの荷物を半分持つことも、誰かの夢を一緒に追いかけることも、相手がいないとできない。
頭に浮かんだのは、ハーブマルシェの企画書。あのイラストを描いたのはmakimakiさんだ。
「ハーブマルシェって、どうなってますか?」と聞いた。
「止まってます」
「消えてはないんですね?」
「種は残っています」
種。またね。
「はんぶんこ、しませんか」
アイタス食品の社員としてではなく、個人として。
品物が全部誰かの手に渡って広くなったマダムさんの店でマルシェを開いている自分たちが思い浮かんだ。

次回10月31日に多賀麻希(79)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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